魔都(久生十蘭)のあらすじ・登場人物
大晦日の東京、安南皇帝が消えた
- ミステリ
- 冒険
- 文字数
- 293,527字
- 読了目安
- 約9時間47分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
久生十蘭が1937年(昭和12年)10月号から翌年10月号まで「新青年」に連載した長編探偵小説。昭和九年の大晦日の夜から元日にかけての、わずか一昼夜あまりの東京を舞台にする。三流紙「夕陽新聞」の雑報記者・古市加十は、銀座裏の酒場で出会った異相の紳士に連れられて夜の街をさまよううち、赤坂の高級アパートで起きた美女の墜死事件に巻きこまれる。紳士の正体は、お忍びで来日していた安南国の皇帝だった。皇帝の失踪と巨大なダイヤモンド、日比谷公園の「鶴の噴水」をめぐる噂、政財界の暗闘、悪徳新聞の企み、そして警視庁捜査一課長・真名古明の執念の捜査。「〜の事、並に〜の事」という講談風の章題を連ね、作者が読者に語りかける饒舌な文体で、昭和モダン都市の裏面を万華鏡のように描き出す、十蘭の代表作の一つである。
あらすじ
甲戌の年の大晦日の夜、三流紙「夕陽新聞」の雑報記者・古市加十は、東京会館の宴会から腹立たしげに出てきて銀座をさまよううち、同郷の元映画女優・村雲笑子に酒場「巴里」へ引きこまれる。そこで出会った異相の紳士に連れ回されて、加十は日比谷公園の「鶴の噴水」を見に行き、明け方には赤坂山王台の高級アパート・有明荘に住む紳士の愛人で、元宝塚の踊り手・松谷鶴子のもとへ同行する。紳士の正体は、お忍びで来日していた安南国の皇帝であった。鶴子の部屋を辞して崖下まで下りた加十の目の前に、鶴子が崖の上から墜落してくる。加十は鶴子を背負って部屋に引き返すが、扉は内から固く閉ざされていた。元日の朝、殺人の嫌疑で警察に留め置かれたはずの加十が目を覚ますと、思いもよらぬ運命が待ち受けていた。一方、皇帝は行方をくらまし、皇帝が持っていた巨大なダイヤモンドの行方も知れない。外交問題を恐れる政府、皇帝をめぐって暗躍する政財界の人々、事件を種にひと儲けを企む夕陽新聞の社長・幸田節三、酒場「巴里」に集う怪しい男女が入り乱れるなか、警視庁捜査一課長・真名古明は上層部の圧力にも屈せず、ただひとり事件の真相を追い続ける。日比谷の地下に走る古い上水の樋、新吉原、お茶の水と舞台を移しながら、一夜のうちに謎と陰謀は膨れあがり、銀座の時計台には首吊りの死体が現れ、ついには任侠の一団と警官隊との市街戦にまで発展する。元日の夕刻、フランス大使が東京に着くと、帝国ホテルには何事もなかったように皇帝が姿を見せ、ダイヤモンドを差し出した。そのころ、両国駅の始発列車の片隅には、花の写真を胸に秘めて東京を去る真名古の姿があった。
登場人物
- 古市加十 三流紙「夕陽新聞」の雑報記者。大晦日の夜に安南皇帝と出会い、事件に巻きこまれる
- 安南国皇帝 お忍びで来日している安南の国王。悠然とした風貌の異相の紳士
- 松谷鶴子 元宝塚の踊り手。皇帝の愛人で、有明荘で墜死する
- 真名古明 警視庁刑事部捜査第一課長。緻密な頭脳と執念で事件の真相を追う
- 幸田節三 夕陽新聞の社長。事件を利用して奇策を企む
- 村雲笑子 元映画女優で、銀座裏の酒場「巴里」の女将。加十と同郷
冒頭部(原文より)
甲戌の歳も押詰って、今日は一年のドンじりという極月の卅一日、電飾眩ゆい東京会館の大玄関から、一種慨然たる面持で立ち現われて来た一人の人物。鷲掴みにしたキャラコの手巾でやけに鼻面を引っこすり引っこすり、大幅に車寄の石段を踏み降りると、野暮な足音を舗道に響かせながらお濠端の方へ歩いて行く。見上ぐれば、大内山の翠松の上には歯切れの悪い晦日の月。柳眉悲泣といったぐあいに引っ掛っている。
「魔都」久生十蘭(青空文庫)
末尾部(原文より)
王様をホテルにかえしたのは安亀だったのである。岩井との約束の手前、加十を身代りに時計台へつるし、本当の王様をそっとホテルへかえして置いたのだった。 有楽町の通りを一人の酔漢が口笛を吹きながら蹣跚たる足どりで歩いて行く。どこにもあの壮烈な戦闘のあとなどはない。月が空からそれを見ている。魚河岸を出た初荷のトラックが、ブリキ罐を叩きながら威勢よく尾張町の方からやってくる。この大都会の最初のどよめきがいま始まろうとしているのである。 ちょうどこのころ、両国駅の始発列車の片隅に、古風なインバネスの襟を立て、秋風落莫たる面持で眼を閉じている一人の人物があった。あの優しげな花の写真を胸に秘め、いま東京を立ち去ろうとするあの不幸な真名古の姿であった。
「魔都」久生十蘭(青空文庫)
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