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黒い手帳(久生十蘭)のあらすじ・登場人物

ルーレット必勝法を記した手帳

  • ミステリ
  • 心理

久生十蘭 1937年(昭和12年)1月 「新青年」

文字数
18,912字
読了目安
約38分
表記
新字新仮名
種別
小説

この作品について

久生十蘭が1937年(昭和12年)1月号の「新青年」に発表した短編。パリの安宿で、六階の屋根裏に住む日本人、四階の日系二世の夫婦、その間の五階に住む留学生の「自分」が出会う。為替の下落で暮らしを切り詰める「自分」が、一冊の黒い手帳をめぐる出来事を、事件ののちに手記の形で書き起こしていく。手帳には、元画家の男が十年をかけて打ち込んだルーレット必勝法の研究が書きつけられていた。後援者を失って追いつめられた夫婦と、計算に憑かれた孤独な男。「一、」で区切った覚え書きの体裁と、冷ややかに観察する語り手の視点が、異国で窮乏する人々の心理を浮かび上がらせる。

あらすじ

パリに留学中の「自分」は、為替の暴落で安宿の五階へ移り住む。降誕祭の夜、四階に住む日系二世の夫婦――声楽を学ぶ子どもじみた夫と、煽情的な眼をしたピアノ学生の妻――に夕食に招かれ、六階の屋根裏に十年も籠もって計算ばかりしている日本人の噂を聞く。元日の朝、その男の部屋に乗り込むと、床は紙屑と汚物で埋まり、壁は数式だらけだった。かつて画家を志してルーヴルで筆を折った男は、ルーレットの出目の法則を十年かけて解き明かしかけていると言い、黒い手帳を振りまわした。まもなく夫婦はハワイの後援者からの送金を断たれ、最後の千フランでモンテカルロに賭けようと、新聞の出目で必勝法の練習を始める。夫婦の厚かましさに腹を立てた「自分」は男を夕食に連れ出し、男は夫婦の浅はかなシステムを打ち砕いたうえで、自分の手帳に従って一度も負けずに八十万フランを勝ってみせた。妻は土下座して手帳を乞うが、男は「賭博に、システムはない」と叫んで去る。数日後、毒殺事件を熱心に語り、毒物学の本を手元に置く夫婦を見た「自分」は、二人が手帳を奪うために男を殺そうとしていると疑い、その経過を冷静に観察しようと決める。一方の男は、勝とうとしない無心こそが賭けに勝つ条件だと悟り、さらに四十三歳で初めて人妻を愛してしまったと打ち明ける。燻蒸消毒の申し出や、妻が砒素入りの強壮剤を飲みはじめたことに、「自分」は殺意の徴候を読み取っていく。やがて男は嘔吐に倒れ、妻が看病につく。ところが夫婦は昼夜を分かたず献身的に介抱し、男は命を取りとめた。男は恋のために死のうと腐れ水を飲んでいたのであり、夫婦は殺意を抱きながらも互いを疑って実行できず、ついに思いとどまっていたのだった。夫婦はベルギーの温泉場へ旅立つ。残された男は自殺のつもりで飲んだ薬のせいで手足が萎え、「自分」に窓から突き落としてくれと頼む。「システムは完成した」と手帳を託す男を、「自分」は抱き上げ、屋根の上から闇の中へ突き落とした。この手記を書き終えたら、手帳はストーブへ投げ込むつもりだと「自分」は記す。

登場人物

冒頭部(原文より)

 黒いモロッコ皮の表紙をつけた一冊の手帳が薄命なようすで机の上に載っている。一輪しの水仙がその上に影を落している。一見、変哲もないこの古手帳の中には、ある男の不敵な研究の全過程が書きつけられてある。それはほとんど象徴的ともいえるほどの富を彼にもたらすはずであったが、その男は一昨日舗石を血に染めて窮迫と孤独のうちに一生を終えた。  この手帳を手にいれるためにある夫婦が人相の変るほど焦慮していた。けっきょく望みをとげることが出来ず、恨をのんで北のほうへ旅立って行った。そしていい加減なめぐり合せで、望んでもいない自分が、遺品といった意味合いでうやむやのうちに受取るような羽目になった。運命とは元来かくのごとく不器用なものであろう。

「黒い手帳」久生十蘭(青空文庫)

末尾部(原文より)

 自分はうしろから強く突いた。彼は勾配の強いスレートの屋根の斜面を辷り、蛇腹の出ッ張りにぶちあたってもんどりをうち、足を空へむけたみょうな恰好で垂直に闇の中へ落ちて行った。  空が白んできた。このへんでやめよう。手帳はストーヴへ投げこみ、この出来事にキッパリとした結末をつけるつもりだ。二度と思いだすまい。

「黒い手帳」久生十蘭(青空文庫)

原文を読む

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