たずねびと(太宰治)のあらすじ・登場人物
汽車で受けた恩に宛てる手記
- 心理
- 文字数
- 7,132字
- 読了目安
- 約14分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
太宰治の手記風の短編。1946年(昭和21年)11月、雑誌「東北文學」に発表された。戦争末期、東京と甲府で罹災した作者が、妻と幼い子供二人を連れて津軽の生家へ向かう汽車の中で受けた見知らぬ人々の親切を回想し、仙台付近に住むと思われる一人の女性に呼びかける。雑誌の読者へ直接語りかけるという形をとる。
あらすじ
「私」は、仙台発行の雑誌「東北文学」の誌面を借り、会いたい女性に呼びかける。昭和二十年七月末、東京と甲府で罹災した「私」は、妻と五歳の女の子、二歳の男の子を連れて津軽の生家へ向かった。上野駅は空襲警報で殺気立ち、急行には乗れず、改札口の傍で夜を明かす。翌朝、白河行きに乗り、さらに小牛田行きへ窓から乗り込んだ。眼を患う娘とやせ細って泣く息子を抱えた一家は、汚れた身なりで乞食の家族にしか見えない。車内では、見知らぬおかみさんが乳の出ない妻に代わって息子に乳を飲ませ、桃とトマトを分けてくれる。礼に窮した「私」は、持っていた煙草のうち十本を渡した。食べ物が尽きかけた夕方、仙台駅の手前で、後ろに立っていた二十歳前後の女性が、網棚の鞄から蒸しパンと赤飯と卵を取り出して膝に積み、礼を言う間もなく降りていった。「私」は、あのときの乞食は自分だと、一種の憎しみを含めて名乗りたいと思い、その人に逢いたいと語る。
登場人物
- 私 津軽へ疎開する作家。罹災した家族を連れている
- 妻 口数の少ない「私」の妻。二歳の息子に乳が出ない
- 五歳の女の子 眼を患い、朝は眼が開きにくい
- 二歳の男の子 弱く小さく、泣き通しの子
- 乳をくれたおかみさん 車内で息子に乳を飲ませ、桃とトマトを分けてくれる人
- 蒸しパンの女性 仙台駅で降りる、二十歳前後の人
冒頭部(原文より)
この「東北文学」という雑誌の貴重な紙面の端をわずか拝借して申し上げます。どうして特にこの「東北文学」という雑誌の紙面をお借りするかというと、それには次のような理由があるのです。 この「東北文学」という雑誌は、ご承知の如く、仙台の河北新報社から発行せられて、それは勿論、関東関西四国九州の店頭にも姿をあらわしているに違いありませぬが、しかし、この雑誌のおもな読者はやはり東北地方、しかも仙台附近に最も多いのではないかと推量されます。 私はそれを頼みの綱として、この「東北文学」という文学雑誌の片隅を借り、申し上げたい事があるのです。 実は、お逢いしたいひとがあるのです。お名前も、御住所もわからないのですが、たしかに仙台市か、その附近のおかたでは無かろうかと思っています。女のひとです。
「たずねびと」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
そのひとに、その女のひとに、私は逢いたいのです。としの頃は、はたち前後。その時の服装は、白い半袖のシャツに、久留米絣のモンペをつけていました。 逢って、私は言いたいのです。一種のにくしみを含めて言いたいのです。 「お嬢さん。あの時は、たすかりました。あの時の乞食は、私です。」と。
「たずねびと」太宰治(青空文庫)
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