アド・バルーン(織田作之助)のあらすじ・登場人物
六十三銭で女に会いにゆく男
- 心理
- 文字数
- 27,390字
- 読了目安
- 約55分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 大阪府
この作品について
織田作之助が1946年(昭和21年)、「新文学」に発表した短編小説。わずか六十三銭を握りしめ、恋しい女に会うために大阪から東京まで線路伝いに歩き出す――そんな向こう見ずな「私」の、放浪と失敗にみちた半生を、大阪の下町を背景に、軽妙な語り口で回想する。落語家の父、去っていった女たち、そしてうだつのあがらぬ現在。空に浮かぶアド・バルーンのように、頼りなくも飄々と生きる庶民の姿を、織田らしい諧謔と哀愁でつづった、大阪ものの佳品である。
あらすじ
その時、「私」の手もとには、わずか六十三銭しかなかった。それを握りしめて、大阪から東京まで線路伝いに歩いて行こう――そう思い立ったのは、東京にいる恋しい女・文子に会いたい一心からだった。正気の沙汰ではないが、向こう見ずと放浪への郷愁は、生まれつきの「私」の気性だった。物語は、そんな「私」の、生まれたときからの放浪と失敗の半生を、大阪の下町を背景に、軽妙な語り口でたどっていく。落語家であった父、去っていった女たち、病院の雑役夫や貯金会社の外交員といった転々とする職。丁寧な言葉づかいがうまく使えず、しばしば人を怒らせながらも、「私」は飄々と生きていく。父を見送り、その骨をおさめたのち、「私」は、うだつのあがらぬ現在の自分をふと振り返る。だが、もうたいした望みもなく、かえって気持ちは落ちついている。空に浮かぶアド・バルーンのように、頼りなくも軽やかに漂う庶民の生を、織田が諧謔と哀愁をこめて描いた、大阪ものの佳品である。
登場人物
- 私 向こう見ずと放浪癖を生まれつき抱えた大阪の男。恋しい女・文子を追い、転々と職を変えながら飄々と生きる
- 文子 「私」が恋い慕う女。東京にいる
- 父 落語家。「私」の父で、晩年をともに過ごし、やがて見送られる
冒頭部(原文より)
その時、私には六十三銭しか持ち合せがなかったのです。六十三銭しか持っていないのに、大阪から東京まで歩いて行こうというのですから、いま考えてみると、正気の沙汰ではなかったようですが、しかし、その時の私にとっては、それは至極当りまえのことだったのです。
「アド・バルーン」織田作之助(青空文庫)
末尾部(原文より)
茶店を出ると、蝉の声を聴きながら私はケーブルの乗場へ歩いて行きましたが、ちょこちょこと随いて来る父の老妻の皺くちゃの顔を見ているうちに、ふとこの婆さんに孝行してやろうかという気持がしました。そして、気がつくと、私は「今日も空には軽気球……」と、ぼそぼそ口ずさんでいたのです。
「アド・バルーン」織田作之助(青空文庫)
原文を読む
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