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瞼の母(長谷川伸)のあらすじ・登場人物

生き別れの母をたずねる旅

  • 家族
  • 歴史

長谷川伸 1930年(昭和5年)3月 「騒人」

文字数
26,155字
読了目安
約52分
表記
新字新仮名
舞台
  • 東京都

この作品について

股旅物の作家・長谷川伸が1930年(昭和5年)、雑誌「騒人」に発表した二幕六場の戯曲。五つのときに生き別れた母を探して旅を続ける渡世人・番場の忠太郎を主人公に、嘉永年間の江戸近郊と柳橋を舞台に描く。作者自身も幼くして生母と生き別れており、その思いが投影された作品として知られる(作者が母と再会を果たすのは、この作品の発表から数年後のことである)。舞台は序幕の金町の瓦焼きの家と江戸の夜の街から、大詰の柳橋の料理茶屋・水熊へと移る。歯切れのよい渡世人の口上と、忠太郎の胸の内を短い言葉で見せる場面の運びが特徴で、新国劇をはじめ舞台・映画で繰り返し取り上げられ、題名は生き別れの母を慕う心を表す言葉としても広まった。本文の後には、作者が書いた別の幕切れ二種も収められている。

あらすじ

嘉永元年の春、江州番場生まれの渡世人・忠太郎は、追われる身の弟分・半次郎の身を案じて武州金町の瓦焼きの家を訪ね、母と妹に守られる半次郎の姿に、親のない身の寂しさをかみしめる。忠太郎は五つのときに別れた母を探して旅を続けており、夏の夜、冬の夜と江戸の町をさまよいながら、母と同じ年格好の女を見るたびに心を動かされる。やがて柳橋の料理茶屋・水熊の女将おはまが自分の母らしいと知った忠太郎は、その居間を訪ね、名乗りを上げる。しかしおはまは、娘お登世の縁談を守るため、やくざ者となった男を息子と認めようとせず、金目当てだろうと冷たく突き放す。忠太郎は、瞼を閉じれば会える優しい母の面影を胸に、二度と訪ねまいと水熊を去る。入れ違いに帰ったお登世から兄の話を聞いたおはまは後悔し、夜明けに娘とともに荒川堤まで忠太郎を追う。そのころ堤では、水熊に入り込もうとたくらむ金五郎が浪人者の鳥羽田を雇い、忠太郎を待ち伏せていた。鳥羽田を斬り伏せた忠太郎は、自分の名を呼ぶ母と妹の声を物陰で聞きながら、だれが会ってやるものかと背を向ける。瞼を合わせれば昔の母の面影が浮かぶ、それでいいのだ――。忠太郎は忍び寄った金五郎も斬り捨て、朝日を背に股旅の路へ踏み出していく。

登場人物

冒頭部(原文より)

江戸川沿岸、南寄りの武州南葛飾郡金町の瓦焼惣兵衛の家。 嘉永元年の春。夕暮れ近くより夜にかけて――。

「瞼の母」長谷川伸(青空文庫)

末尾部(原文より)

朝の真赤な光が映す、忠太郎、その光に背いて、股旅の路に踏み出す。 船頭歌、遥かに聞える。 船頭歌 降ろが照ろうが、風吹くままよ、東行こうと、西行こと。

「瞼の母」長谷川伸(青空文庫)

名文

俺あ、こう上下の瞼を合せ、じいッと考えてりゃあ、逢わねえ昔のおッかさんの俤が出てくるんだ――それでいいんだ。(歩く)逢いたくなったら俺あ、眼をつぶろうよ。

生き別れた母に会いながら名乗れず、突き放して去る忠太郎の独白。会わずとも瞼の裏に母の俤を見る、という題名の由来となる台詞。

愚痴をいうじゃねえけれど、夫婦は二世、親子は一世と、だれが云い出したか、身に沁みらあ。

母に「他人」と拒まれた番場の忠太郎が、別れ際にもらす台詞。親子の縁の薄さを、世に言う一句に託して嘆く。

原文を読む

原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。

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