最後の一句(森鴎外)のあらすじ・登場人物
父の命を願う十六歳の娘
- 歴史
- 家族
- 文字数
- 9,285字
- 読了目安
- 約19分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 大阪府
この作品について
1915年10月、「中央公論」に発表された森鴎外の歴史小説。元文3年の大阪で、船乗り業を営む桂屋太郎兵衛の死罪を告げる高札が立つ。父の不在が続く家には、悲嘆に暮れる母と五人の子供がいる。祖母の話を聞いた十六歳の長女いちは、父を助けるため、子供たちを身代わりにしてほしいという願書を書こうと決める。夜中に妹へ考えを伝え、慣れない文章を書き直す姿から、子供なりの理屈と強い意志が浮かび上がる。家族をめぐる物語が、奉行所の門を境に、願いを受け止める役人たちとのやり取りへ移ってゆく構成も鮮やか。語りは家族の年齢や暮らし、事件の経緯を順に示し、感情を大きく煽ることなく、言葉と行動の細部を追っている。親を思う娘の話としてだけでなく、子供の切実な願いが大人の権限や判断にどう向き合うかという緊張を読む短編である。
あらすじ
元文3年11月、大阪で船乗業桂屋太郎兵衛が、沈没した船の積み荷を着服した罪により、三日間さらした上で斬罪に処されるとの高札が立った。それを知った太郎兵衛の長女いち、16歳は、その夜ひそかに願書をしたため、まだ夜も明けぬうちに妹まつを連れて西町奉行所へ駆け込む。父の命をお助けいただきたい、代わりに子供五人を殺してください、という嘆願である。奉行所は初め子供の浅知恵と取り合わず、次いで親族の入れ知恵を疑って厳しく吟味するが、いちは責め道具を並べた白洲でも臆する色なく、願いを変えない。「お前の申立てには嘘はあるまいな」と念を押す役人に、いちは「よろしゅうございます」と答え、少し間を置いて言い足した。「お上の事には間違はございますまいから」。氷のように冷ややかで刃のように鋭いこの最後の一句は、書院にいた役人一同の胸を刺した。嘆願は期せずして聞き届けられ、太郎兵衛は大嘗会の恩赦によって死罪を免れ、追放に減刑されるのだった。
登場人物
- いち 父の身代わりを願い出る桂屋の長女、16歳。本作の主人公
- 桂屋太郎兵衛 死罪を宣告された船乗業の男。いちの父
- 佐佐又四郎 いちを取り調べる西町奉行
- 長太郎 桂屋の養子の少年。自分も一緒に死ぬと言い張る
冒頭部(原文より)
元文三年十一月二十三日の事である。大阪で、船乗り業桂屋太郎兵衛というものを、木津川口で三日間さらした上、斬罪に処すると、高札に書いて立てられた。市中至る所太郎兵衛のうわさばかりしている中に、それを最も痛切に感ぜなくてはならぬ太郎兵衛の家族は、南組堀江橋際の家で、もう丸二年ほど、ほとんど全く世間との交通を絶って暮らしているのである。
「最後の一句」森鴎外(青空文庫)
末尾部(原文より)
城代も両奉行もいちを「変な小娘だ」と感じて、その感じには物でも憑いているのではないかという迷信さえ加わったので、孝女に対する同情は薄かったが、当時の行政司法の、元始的な機関が自然に活動して、いちの願意は期せずして貫徹した。桂屋太郎兵衛の刑の執行は、「江戸へ伺中日延」ということになった。
「最後の一句」森鴎外(青空文庫)
名文
「お上の事には間違いはございますまいから」
父の身代わりに死なせてほしいと願い出た娘いちが、奉行の問いに答えたあとで言い足した一言。権力への痛烈な皮肉を秘めたこの言葉が、題名の「最後の一句」である。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。