作者不詳の名文
作者不詳の作品から、よく知られた一節を集めました。
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竹取物語
今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづの事につかひけり。名をば讃岐造麻呂となむいひける。
物語の出で来はじめの祖といわれる作品の書き出し。竹を取って暮らす翁の登場から、かぐや姫の物語が始まる。
それを見れば、三寸ばかりなる人いと美しうて居たり。翁いふやう、「われあしたごとゆふべごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。子になり給ふべき人なんめり。
光る竹の筒の中に、小さな美しい人を見つける場面。翁の「子になり給ふべき人なんめり」の一言で、かぐや姫と翁夫婦の暮らしが始まる。
おのが身は、この国の人にもあらず、月の都の人なり。それをなむ昔の契ありけるによりなむ、この世界にはまうで来りける。今は帰るべきになりにければ、この月の十五日に、かの本の国より迎へに人人まうでこむず。さらず罷りぬべければ、おぼし歎かむが悲しきことを、この春より思ひ歎き侍るなり。
かぐや姫が自分は月の都の人で、八月十五日に迎えが来ることを明かす場面。物語が一転して別れの悲しみへ向かう転換点。
天の羽衣うち著せ奉りつれば、翁をいとほし悲しとおぼしつる事も失せぬ。この衣きつる人は、物思ひなくなりければ、車に乗りて百人ばかり天人具して昇りぬ。
天人が羽衣を着せると、翁を思う悲しみも消え、かぐや姫は天へ昇っていく。人の情を忘れさせる羽衣の力を描いた、物語の別れの場面。
伊勢物語
むかし、男、うひかうぶりして奈良の京春日の里にしるよしして狩にいにけり。その里にいとなまめいたる女はらからすみけり。この男かいまみてけり。おもほえずふる里にいとはしたなくてありければ心ちまどひにけり。
初段。元服したばかりの男が、奈良の春日の里で姉妹を垣間見て心を乱される。「昔、男」で始まる歌物語の型を決めた冒頭。
月やあらぬ春やむかしのはるならぬ我が身ひとつはもとの身にして
第四段、在原業平の歌とされる名歌。かつての恋人の面影を求め、月も春も変わってしまったのに自分だけは昔のままだと嘆く。
名にしおはゞいざことゝはむみやこ鳥我がおもふ人はありやなしやと
東下りの場面、隅田川で都鳥に問いかける歌。「都」という名を持つ鳥に、都に残してきた人の安否を尋ねる旅情が胸を打つ。
つひにゆく道とはかねて聞きしかどきのふけふとは思はざりしを
物語の最後に置かれた辞世の歌。人は誰もが死ぬとは知っていたが、それが昨日今日のこととは思わなかったという、飾らない実感。
堤中納言物語
蝶めづる姫君の住み給ふかたはらに、あぜちの大納言の御むすめ、心にくゝなべてならぬさまに、親だちかしづき給ふ事限なし。この姫君ののたまふ事「人々の花や蝶やとめづるこそ、はかなうあやしけれ。人はまことありほんぢ尋ねたるこそ、心ばへをかしけれ」とてよろづ虫の恐ろしげなるを取りあつめて、これが成らむさまを見むとて、さまざまなるこばこどもに入れさせ給ふ。
『堤中納言物語』の「虫めづる姫君」の書き出し。人が花や蝶をもてはやすのは浅はかで、物の本質を尋ねてこそ心ばえがあると言い放ち、毛虫を集めて育てる姫君が登場する。平安の物語には珍しい型破りな主人公である。
宇治拾遺物語
これも今は昔、右の顔に大なる瘤ある翁ありけり。大かう山へ行きぬ。雨風はしたなくて帰るに及ばで、山の中に心にもあらずとまりぬ、又樵夫もなかりけり。おそろしさすべきかたなし。
「こぶとりじいさん」の原話。右の顔に大きな瘤のある翁が山で一夜を明かす場面から始まる。宇治拾遺物語の説話の語り口が分かる。
平家物語(原文)
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。驕れるもの久しからず、たゞ春の夜の夢の如し。猛き人も遂には亡びぬ。ひとへに風の前の塵に同じ。
平家物語の冒頭。鐘の声と沙羅双樹の花に仏教の無常観を託し、栄華を極めた者も必ず滅びると語り出す、日本人に最も親しまれた古典の書き出し。
「日頃は何とも覚えぬ鎧が、今日は重うなつたるぞや」
『平家物語』巻九「木曾最期」で、今井四郎と主従二騎になった木曾義仲の言葉。豪勇の大将が初めて漏らす弱音として名高い。
鏑は海に入りければ、扇は空へぞ上りける。春風に一もみ二もみもまれて、海へさつとぞ散つたりける。皆紅の扇の、夕日の輝くに、白波の上に漂ひ、浮きぬ沈みぬゆられけるを、沖には平家、舷を叩いて感じたり、陸には源氏、箙を叩いてどよめきけり。
『平家物語』巻十一、那須与一の扇の的の名場面。扇が夕日にきらめきながら波間に漂い、平家は舷を、源氏は箙を叩いて称える。
保元の昔は春の花と栄えしかども、寿永の今はまた、秋の紅葉と落ちはてぬ。
『平家物語』巻七、平家一門が都を落ちる場面の一節。保元の栄華と寿永の没落を、春の花と秋の紅葉に対比させた名句。
僧都せむかたなさに渚に上り、倒れ伏し、をさなき者の乳母や母などを慕ふやうに、足ずりをして、「これ乗せて行け、具して行け」とのたまひて、をめき叫び給へども、漕ぎゆく船のならひにて、跡は白波ばかりなり。
鬼界が島に一人残された俊寛僧都が、赦免の船を追って渚で足ずりして叫ぶ場面。能や歌舞伎『俊寛』の原拠となった「足ずり」の名場面。
埋木の花咲くこともなかりしに、みのなるはてぞ悲しかりける。
以仁王を擁して挙兵し、宇治の平等院で敗れた源頼政の辞世。老いて初めて立った戦に花を咲かせられなかったと、わが身を埋もれ木に重ねて嘆く。
その夜の夜半ばかり、富士の沼にいくらもありける水鳥どもが、何にかは驚きたりけむ、一度にばつと立ちける羽音の、雷、大風などのやうに聞えければ、平家の兵ども、「あはや源氏の大勢の向うたるは。昨日斎藤別当が申しつるやうに、甲斐、信濃の源氏等、富士の裾より搦手へや廻り候ふらむ。敵何十万騎かあるらむ。取り籠められてはかなふまじ。こゝをば落ちて、尾張川洲股を防げや」とて、取る物も取りあへず、われ先にわれ先にとぞ落ち行きける。
富士川の合戦で、水鳥の羽音を源氏の大軍の襲来と聞き違えた平家の軍勢が、戦わずに逃げ崩れる有名な場面。
今生の望は一事も思ひ置く事なし。たゞ思ひ置く事とては、兵衛の佐頼朝が首を見ざりつる事こそ、何よりもまた本意なけれ。われいかにもなりなむ後、仏事孝養をもすべからず、堂塔をも立つべからず。急ぎ討手を下し、頼朝が首を刎ねて、わが墓の前に懸くべし。それぞ今生後生の孝養にてあらむずるぞ」とのたまひけるこそ、いとゞ罪深うは聞えし。
死の床の平清盛が遺す言葉。栄華を極めたが、ただ頼朝の首を見られぬことだけが心残りだと言い、供養よりも頼朝の首を墓前に懸けよと命じる。
二人の女房たちは、后の宮の御位より附き参せて、片時も離れ参せずして候はれしかば、別路の御時も、やる方なくぞ思はれける。この女房たちは、昔の草のゆかりも皆枯れはてゝ、寄る方もなき身なれども、折々の御仏事営み給ふぞあはれなる。この人々は、終には竜女が正覚の跡を追ひ、韋提希夫人の如くに、皆往生の素懐を遂げけるとぞ聞えし。
『平家物語』全巻の結び。建礼門院に仕えた二人の女房たちが、のちにみな往生の願いを遂げたと語って、長い物語を閉じる。
悲しきかな、君の御為に奉公の忠を致さむとすれば、迷盧八万の巓よりもなほ高き父の恩、忽に忘れむとす。いたましきかな、不孝の罪を遁れむとすれば、君の御為には既に不忠の逆臣ともなりぬべし。進退これきはまれり。
『平家物語』巻二「教訓状」で、法皇を攻めようとする父清盛を平重盛が涙ながらに諫める言葉。須弥山より高い父の恩と君への忠とのはざまで、「進退これきはまれり」と身を引き裂かれる対句が胸を打つ。
さる程に九月も十日あまりになりぬ。荻の葉向の夕嵐、ひとりまるねの床の上、片敷く袖をしぼりつゝ、更けゆく秋のあはれさは、いづくもとはいひながら、旅の空こそ忍び難けれ。九月十三夜は名を得たる月なれども、その夜は都を思ひいづる涙に、われから曇りてさやかならず。
『平家物語』巻八、都を落ちて筑紫に漂う平家一門が十三夜の月を仰ぐ場面。七五調の流れるような詞章のうちに、名月さえ涙で曇って見えるという望郷の思いを重ね、続く忠度らの月の歌へと導く。
逢坂山うち越えて、勢多の唐橋、駒もとゞろと蹈み鳴し、雲雀上れる野路の里、志賀の浦浪春かけて、霞にくもる鏡山、比良の高峯を北にして、伊吹の岳も近づきぬ。
『平家物語』巻十「海道下」で、捕らわれの平重衡が鎌倉へ護送されていく道行文。歌枕を七五調で次々に連ね、春霞の近江路を縫う旅の調べが、二度と戻れぬ囚われ人の身の上をかえって際立たせる。
また遠国近国もかくの如し。山崩れて河を埋み、海漂ひて浜を浸す。渚漕ぐ舟は波にゆられ、陸行く駒は足の立てどを失へり。大地裂けて水湧き出で、磐石割れて谷へ転ぶ。
『平家物語』巻十二「大地震」で、平家滅亡の年の元暦二年(1185年)に都を襲った大地震を描く一節。短い対句を畳みかけて天地の異変を活写し、同じ地震を記した『方丈記』とも響き合う。
薄化粧して鉄醬黒なり。わが子の小次郎が齢ほどして、十六七ばかんなるが、容顔まことに美麗なり。
巻九「敦盛最期」で、熊谷直実が組み伏せた敵の兜を上げて見る場面。わが子ほどの年の美しい若武者だったことが、直実の心を揺さぶる。
この国は粟散辺土と申して、ものうき境にて候。あの波の下にこそ、極楽浄土とてめでたき都の候。
巻十一「先帝御入水」で、二位殿が幼い安徳天皇をなぐさめる言葉。波の下にも都があると告げる、壇ノ浦の悲劇の頂点。
屍を野山に曝さば曝せ、うき名を西海の波に流さば流せ、今はうき世に思ひ置く事なし。
巻七「忠度の都落」で、薩摩守忠度が俊成に歌の巻物を託して言う言葉。死を覚悟した武人が歌への執心だけを残して去る。
薩摩潟おきの小島にわれありと、親には告げよ八重のしほかぜ。
巻二「卒都婆流」で、鬼界が島に流された平康頼が千本の卒都婆に書きつけて海へ流した歌。八重の潮風に親への便りを託す一首は、やがて一本が厳島に流れ着き、都の人々に口ずさまれることになる。
洲崎に噪ぐ千鳥の声は、暁の恨をまし、磯間にかゝる櫓の音は、夜半に心を傷ましむ。白鷺の遠松にむれゐるを見ては、源氏の旗を揚ぐるかと疑はる。野雁の遼海に鳴くを聞きては、兵どもの夜もすがら船を漕ぐかと驚かる。
巻八「太宰府落」の末、讃岐の八島に仮の内裏を構えて波の上に暮らす平家の日々。千鳥と櫓の音、白鷺と野雁を対句に並べ、白い鳥の群れにも源氏の白旗を見てしまう落人の怯えを、和漢混交の美文で描く。
頃は二月十日あまりの事なれば、梅津の里の春風に、よそのにほひもなつかしく、大井川の月影も、霞に籠めておぼろなり。一方ならぬあはれさも、誰故とこそ思ひけめ。
巻十「横笛」で、出家した恋人の滝口入道を尋ねて、横笛が嵯峨の往生院をさまよう場面。梅の香を運ぶ春風とおぼろな大井川の月が、門前で会うことを拒まれるはかない恋の情趣をやわらかく包む。
浜の宮と申し奉る王子の御前より、父の渡り給ひたりし山なりの島見渡いて、渡らまほしく思はれけれども、波風向うてかなはねば力及び給はず、ながめやり給ふに、わが父はいづくにか沈み給ひけむと、沖より寄する白波にも、問はまほしうぞ思はれける。
巻十二「六代斬られ」で、出家した平家の遺児六代が、父維盛の入水した熊野の浜を訪ねる場面。寄せる白波に父の沈んだ場所を問いたいという思いが、父子二代の悲運を静かに結びつける。
あはれ弓矢取る身ほど、口惜しかりける事はなし。武芸の家に生れずば、何しにたゞ今、かゝる憂き目をば見るべき。なさけなうも討ち奉つたるものかなと、袖を顔におし当てゝ、さめざめとぞ泣きゐたる。
敦盛を討った熊谷直実の嘆き。武芸の家に生まれた身の口惜しさを語り、武士の悲哀を描く「敦盛最期」の核心となる一節。
新中納言知盛の卿は、見るべき程の事は見つ、今はたゞ自害をせむとて、乳母子の伊賀の平内左衛門家長を召して、「日頃の契約をば違へまじきか」とのたまへば、「さる事候」とて、中納言殿にも鎧二領著せ奉り、わが身も二領著て、手に手を取り組み、一所に海にぞ入り給ふ。
壇ノ浦で平知盛が「見るべき程の事は見つ」として乳母子とともに入水する場面。平家の滅びを見届けた武将の潔い最期として名高い。
さゞなみや志賀の都は荒れにしを、昔ながらの山ざくらかな。
忠度が託した巻物から「よみ人知らず」として千載集に入れられた歌。朝敵となったため名を伏せられた無念が、語りに添えられる。
頃は三月二十八日の事なれば、海路遥に霞み渡り、あはれを催すたぐひかな。たゞ大方の春だにも、暮れ行く空はものうきに、況やこれは今日を最後、たゞ今限りの事なれば、さこそは心細かりけめ。
巻十「維盛入水」で、平維盛が那智の沖へ舟を漕ぎ出し、入水を前にする場面。霞みわたる晩春の海と暮れゆく空に、今日を限りの命の心細さを重ねる。ただの春の夕べでさえ物憂いのに、という運びが哀切。
十二の年より三十に余るまで保ちけるは、ひとへに長谷の観音の御利生とぞ聞えし。三位の禅師斬られて後、平家の子孫は永く絶えにけり。
巻十二の結び。平家の嫡流として最後まで生き延びた六代(三位の禅師)がついに斬られ、一門の血筋が絶えたと語る。祇園精舎の鐘から始まった栄華と滅亡の物語は、この簡潔な一文で幕を下ろす。
大鏡
さいつころ雲林院の菩提講にまうでゝ侍りしかば、例の人よりはこよなく年老いうたてげなる翁二人おんなときあひて同じところにゐぬめり。
大鏡の書き出し。雲林院の菩提講で、ひどく年老いた翁二人が昔語りを始める。語り手の「私」が老人たちの語りを聞く構えで、歴史が語り出される。
落窪物語
今はむかし、中納言なる人のむすめあまたもたまへるおはしき。
『落窪物語』の書き出し。多くの娘を持つ中納言の家から、継母にいじめられ床の落ちくぼんだ部屋に住まわされる姫君の物語が始まる。日本の継子いじめの物語の早い例として知られる。
今昔物語集
若キ女ノ死デ臥タル有リ。其ノ枕上ニ火ヲ燃シテ。年極ク老タル嫗ノ白髪白キガ其ノ死人ノ枕上ニ居テ。死人ノ髪ヲカナグリ抜キ取ル也ケリ。
『今昔物語集』巻二十九「羅城門登上層見死人盗人語」で、盗人が門の上で見た光景。芥川龍之介『羅生門』の素材となった話として名高い。
而ル間女音不為ザリケレバ。中将恠ムデ見返テ見ルニ。女ノ頭ノ限ト着タリケル衣共ト許残タリ。
『今昔物語集』巻二十七「在原業平中将女被瞰鬼語」の一節。雷鳴の夜が明けて振り返ると、連れ出した女の姿が消えていた。鬼一口の怪異を簡潔な筆で描く。
利仁ノ将軍ト云人有ケリ。
『今昔物語集』巻二十六の「利仁将軍若き時、京より敦賀に五位を将て行く語」の書き出し。芥川龍之介の『芋粥』の原話として知られる。
世ニ袴垂ト云極キ盗人ノ大将軍有ケリ。心太ク力强ク足早手聞キ。思量賢ク世ニ並ビ无キ者ニナム有ケル。
盗賊の大将・袴垂が、藤原保昌に出会うくだりの冒頭。度胸も腕も人並みはずれた盗人として紹介される。
池ノ尾ト云フ所ニ禅珍内供ト云フ僧住キ。身浄クテ真言ナド吉ク習テ懃ニ行法ヲ修シテ有ケレバ。
「池尾の禅珍内供の鼻の語」の書き出し。異様に長い鼻に悩む僧の話で、芥川龍之介『鼻』の原話にあたる。
信濃ノ国更科ト云フ所ニ住ム者有ケリ。年老タリケル姨母ヲ家ニ居エテ。祖ノ如クシテ養テ年来相副テ過シケルニ。
老いた姨母を山に捨てた男の話(姨捨山)の冒頭。のちに月の名所・姨捨として和歌や謡曲に語り継がれた。
三年ト云八月ノ十五日ノ夜。月少上陰テ風少シ打吹タリケルニ。博雅哀レ今夜ハ興有ガ。会坂盲今夜コソ流泉啄木ハ弾ラメト思テ。
『今昔物語集』巻二十四の蟬丸の話。秘曲を聞くため逢坂の関に三年通い続けた源博雅が、八月十五夜に今夜こそはと出かける。月がかすみ風がそよぐ夜の描写が、待ちつづけた者の期待を静かに高める。
早ウ此奴ノシケル様ハ。楚ヲ以テ藪ヲ驚カシツヽ。這出ル蛇ヲ打殺シテ切ツヽ。家ニ持行テ塩ヲ付テ干テ売ケル也ケリ。
『今昔物語集』巻三十一の、干し魚と偽って蛇を売っていた女の話。芥川龍之介が『羅生門』で老婆に語らせた、死んだ女の悪事の典拠として知られる。種明かしを淡々と語る説話の語り口が不気味さを増している。
嫗己ガ主ニテ御マシツル人ノ失給ヘルヲ繚フ人ノ无ケレバ。此テ置奉タル也。其ノ御髪ノ長ニ余テ長ケレバ。其ヲ抜取テ髢ニセムトテ抜ク也。助ケ給ヘト云ケレバ。
同じく羅城門の話で、刀を抜いた盗人に老婆が答える言葉。主人の亡骸の髪を鬘にしようと抜いていたという、都の荒廃が生々しい。
面ハ朱ノ色ニテ円座ノ如ク広クシテ目一ツ有リ。長ハ九尺許ニテ手ノ指三ツ有リ。爪ハ五寸許ニテ刀ノ様也。色ハ緑青ノ色ニテ目ハ琥珀ノ様也。頭ノ髪ハ蓬ノ如ク乱レテ。見ルニ心迷ヒ肝消テ怖シキ事无限シ。
巻二十七「近江国安義橋鬼瞰人語」で、橋の上の女が鬼の正体を現す場面。朱の顔に目一つ、緑青色の肌という鬼の姿を畳みかけて描く。
此玄象ハ生タル者ノ様ニゾ有ル。弊ク弾テ不弾負セレバ。腹立テ不鳴ナリ。亦塵居テ不巾ル時ニモ腹立テ不鳴ナリ。
『今昔物語集』巻二十四で、鬼に盗まれた名器・玄象を源博雅が羅城門で取り戻す話の結び。下手に弾かれたり塵を拭われなかったりすると怒って鳴らないという。琵琶を生き物のように語る、王朝の名器伝説。
平家物語
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。娑羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。おごれる人も久しからず、唯、春の夜の夢のごとし。猛きものもついにはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。
全巻を貫く無常観を高らかにうたい上げた冒頭の序詞。琵琶法師の平曲として語り継がれ、滅びの美意識とともに日本人の心へ深く刻まれた名文中の名文。
扇は空に舞いあがり、きりきりと一つ二つ舞っていたが、さっと海に落ちていった。
屋島の戦いで、那須与一が平家の舟に掲げられた扇の的を射抜く場面。源平両軍がその見事な弓の腕をたたえた、平家物語の名場面の一つ。
それにしても、我が一門は、あまりに短時日の内に、この世の栄華富貴を極め過ぎたようです、この家には、高禄、高位が重なり合っております、一年に二度実のなる木は、その根が必ず傷むという言い伝えがあります。平家の御運も、そろそろ末になったのではないかと案じている次第でございます。
尾崎士郎訳『平家物語』第二巻、清盛を諫める重盛の言葉の結び。一年に二度実のなる木は根が傷む、という喩えで一門の行く末を見通す。滅びの予感を最も早く口にする重盛の聡明さと孤独がにじむ。
俊寛は少将の袂をつかんで離さぬ。袂が島と本土とむすぶただ一つの橋のように、彼は両手でつかんでいた。
尾崎士郎訳『平家物語』第三巻「足摺」で、赦免から漏れた俊寛が成経にすがる場面。袂を島と本土を結ぶただ一つの橋にたとえた訳者の比喩が、取り残される者の絶望を短い言葉で鮮やかに描き出す。
頭を狙う矢には身を沈め、低い矢は飛びこえた。真向うから飛び来る矢は長刀で丁と切って落し、横から襲う矢を騒がず柄ではたき落す。長刀の刀がきらめくとみるや二つになった矢が散り落ちるさまに敵も味方も感嘆した。
尾崎士郎訳『平家物語』第四巻「橋合戦」で、宇治橋の上に立った五智院の但馬が飛び来る矢を長刀で切り払う場面。のちに「矢切の但馬」と呼ばれた妙技を、歯切れのよい短文の連なりで躍動的に描く。
京に入った彼は、二月のあいだに変り果てた昔の都に心を痛めた。多くの家は取り壊され持ち去られて、たまに残った邸の門前に草が茂り、庭をおおう夏草には露をおびている。かつて持主が誇った庭園はよもぎの山と化し、かやが風にゆらぎ、黄菊、紫蘭などの野草が僅かに秋の風情を伝えるばかり。
尾崎士郎訳『平家物語』第五巻「月見」で、福原遷都ののち徳大寺実定が荒れ果てた旧都を訪ねる場面。蓬や萱に埋もれた庭と秋の野草を重ね、わずか数か月で変わり果てた都の姿をしみじみと描く。
亀山のほとりまで来たときである。どこからか、かすかな琴の音が風に乗って聞えてきた。仲国は、思わず、ぎくりとして馬をとめた。松風の音に消されて、それはかすかではあるが、確かに琴に違いなかった。
尾崎士郎訳『平家物語』第六巻「小督」で、高倉天皇の命を受けた源仲国が、身を隠した小督を月夜の嵯峨野に探す場面。松風にまぎれる琴の音を聞き当てる瞬間の緊張が、名高い想夫恋の場面へとつながる。
秘曲といわれる上玄、石上の秘曲にまでくると、いつしか、あたりの空気も、草も木も人も一体になって、唯、澄みきった琵琶の音だけが、静かな湖水の夜を流れてゆくのである。
尾崎士郎訳『平家物語』第七巻「竹生島詣」で、北国へ向かう途中の平経正が琵琶湖の竹生島で琵琶を奏でる場面。月の照らす湖上に澄んだ音だけが流れていく描写が、戦乱のさなかの束の間の静けさを伝える。
月明らかな海原の波が割れて清経の姿は消えた。月の光を浴びた彼の姿は美しかったと、涙ながらに供の女は語っていた。
尾崎士郎訳『平家物語』第八巻、九州を追われた平清経が、月夜の舟の上で笛を吹き朗詠したのち海へ身を投げる場面。月の光を浴びた姿は美しかったという供の女の言葉が、若い公達の最期を静かに結んでいる。
「こうなった今は、誰をかばって戦おうぞ。これを見よ、東国の者ども、日本一の剛の者が示す自害の手本だ」
尾崎士郎訳『平家物語』第九巻「木曽最期」で、主君義仲の討ち死にを聞いた今井四郎兼平の最期の言葉。太刀の切先を口に含んで馬から逆さまに飛び落ちる、乳母子の壮絶な忠義を告げる名高い叫び。
弓矢とる身の常として、同じ弓矢の道の敵の手に渡って殺されることは、決して恥とは思いませぬ。この上は一日も早く首をはねて頂きたい
尾崎士郎訳『平家物語』第十巻「千手の前」で、捕らわれて鎌倉に送られた平重衡が頼朝の前で語る言葉。南都焼き討ちの責めを負いながら命乞いをせず、武人として潔く死を望む態度に、居並ぶ東国の武士も袖を濡らした。
心強くもいい切って、北の方の手を振り払うようにして門の外へ出た時には、目の前が、ぼうっとかすんで何も見えなかった。これがこの世の最後の別れと思えば、もう一度、顔を見、声を聞きたいと、腕を引きちぎられるような思いであった。
尾崎士郎訳『平家物語』第十二巻「重衡被斬」で、奈良へ送られる平重衡が日野に住む妻と最後の対面を果たして別れる場面。振り切って出た門の外で涙に目がかすむ姿を、身を裂かれる痛みとして描いている。
年代の経った泉水木立がいかにも由緒あり気で、庭の若草も、今を盛りと茂り合っていた。池の中州の松には、薄紫の藤がしだれかかり、遅咲きの桜が色どりを添えていた。折しも、山時鳥がわけ知り顔に、ひと声鳴くのも一層情趣があった。
尾崎士郎訳『平家物語』灌頂の巻「大原御幸」で、後白河法皇が建礼門院の住む大原の寂光院を訪ねる場面。晩春の藤と遅桜、時鳥の声が、栄華の果てに隠棲する女院の庵を穏やかな美しさで包んでいる。
平家に非ずんば人に非ずといった言葉も、むしろ当然のように迎えられたし、六波羅風と言えば、猫も杓子も、右へならえで、烏帽子の折り方やら、着つけの仕方まで、皆が平家一族を真似するのである。
平家の全盛を描く場面。原典の「此一門にあらざらむ人は皆人非人なるべし」に当たる驕りが、のちの滅びを静かに準備する。
「波の下にも都がございますよ、さあ参りましょう」
壇ノ浦の戦いで平家が滅びるとき、二位殿が幼い安徳天皇を抱いて海に身を投げる際にかけた言葉。平家物語屈指の悲劇的な場面として知られる。
厳島大明神は、八つの神殿から成り、海の際に臨んでいた。夜になると月が昇り、その澄んだ影は、水にも、砂浜にも、美しい光を投げていた。満潮になると、大鳥居も、朱塗りの玉垣も、瑠璃色を帯びて青白く光った。引潮になると、社前の白砂には霜が降りたようにみえた。
尾崎士郎訳『平家物語』第二巻、康頼の流した卒都婆が厳島に流れ着く場面。満ち潮の瑠璃色と引き潮の霜のような白砂を対にした月夜の社殿の描写が美しく、奇跡の舞台を神秘的に整えている。
人の姿も恐れずに砂浜に遊びたわむれる、鴎や沖の浜千鳥でもいいから、俊寛の行方を知らせてはくれまいか、有王はつくづくそう思ったのである。
尾崎士郎訳『平家物語』第三巻「有王」で、主人俊寛を探して鬼界が島に渡った少年有王が浜辺に立ち尽くす場面。人を恐れない鴎や千鳥にまで行方を尋ねたいという一途な思いが、のちの再会の悲しみを準備する。
弱き馬は下流に、強き馬を上流に立てよ。馬の足川床を歩む間は手綱をゆるめ、足とどかずに泳ぎはじめたなら手綱をしめよ。流される者あらば弓をあたえて引き戻せ、手を組み肩を相抱いておくれずに渡れ。
尾崎士郎訳『平家物語』第四巻、十七歳の足利又太郎忠綱が増水した宇治川へ三百余騎を率いて馬を乗り入れる場面。坂東武者の経験が凝縮した渡河の心得を、命令形の簡潔な言葉で畳みかける。
弓を掴めば矢を忘れ、太刀を握れば鞘だけ残し、人の馬には自分が乗り、日頃自慢する自分の愛馬には他人がしがみつく。
尾崎士郎訳『平家物語』第五巻「富士川」で、水鳥の羽音を源氏の夜襲と思い込んだ平家の軍勢が逃げ惑う場面。対句を重ねた滑稽な描写が、戦わずして崩れる平家の弱体ぶりを痛烈に笑い飛ばす。
叡山から冷い清水を汲んできて、水風呂をつくり、それに入れると、水はたちまち湯に変った。少しは楽になるかと筧の水をかけると、焼けた石や鉄のように水がはね返ってじゅうじゅうと音をたてる。
尾崎士郎訳『平家物語』第六巻「入道死去」で、熱病に冒された平清盛の最期を描く場面。比叡山の清水も湯に変わり、かけた水が焼け石のようにはね返るという誇張が、栄華を極めた者の凄絶な死を印象づける。
春の花見の岡の御所、秋の月見の浜の御所、泉殿、松蔭殿、馬場殿といった所や、人々の邸宅も三年の間にすっかり朽ち果て、寝所には、月の光がさんさんと降り注いでいた。
尾崎士郎訳『平家物語』第七巻「福原落」で、都を落ちた平家一門が、かつて清盛の築いた福原に最後の一夜を過ごす場面。朽ちた御所の寝所に降りそそぐ月光が、栄華の跡のむなしさを静かに照らし出す。
「猫殿は小食でござるな。いわゆる猫おろしとは御身のことじゃな、いや遠慮はご無用ぞ、さあどしどし召上り給え」
尾崎士郎訳『平家物語』第八巻「猫間」で、都の作法を知らない木曾義仲が猫間中納言に山盛りの飯をすすめる場面。悲劇の多い物語の中で、田舎育ちの義仲の無邪気な無骨さを生き生きと伝える滑稽譚。
「さては今朝の明け方近く、楽の音が聞こえたのは、この人達であったのか、東国の勢、何万騎の内、ただ一騎でも、こんなやさしい心を持った人がいただろうか? さすがは名門の貴公子ともなれば、軍にも笛を離さぬものとみえる」
尾崎士郎訳『平家物語』第九巻「敦盛の最後」で、熊谷直実が討ち取った若武者の腰に錦の袋の笛を見つける場面。明け方の陣から聞こえた楽の音の主を知り、雅を失わない平家の公達への哀惜が直実の出家へとつながる。
千手の前にとってもこの時の思い出は、忘れられぬものであった。彼女は、重衡が南都へ渡され、斬られたと聞いてからは、墨染の衣に身を変えて、重衡の菩提をとむらったのであった。
尾崎士郎訳『平家物語』第十巻「千手の前」の結び。囚われの重衡を一夜の宴で琴と今様で慰めた千手の前が、その死を聞いて出家したと語る。束の間の出会いが一生の思い出となる、静かな余韻の残る一節。
知時は、自分の袖のくくりひもを解いて仏の御手に片端をかけ、重衡にもう一方の端を握らせた。
尾崎士郎訳『平家物語』第十二巻、木津川のほとりで処刑される重衡のために、旧臣の知時が河原の砂の上に阿弥陀仏を据える場面。袖の紐一本で仏と結ばれて念仏する最期を、簡潔な一文が厳かに伝える。
気がついたときは、二位殿が、先帝をお抱き申して船べりに立ってお出ででした。あの可愛い小さいお手を合わせて、東を伏し拝み、その後、西に向って拝まれた後、沈まれた様子は、どうにも忘れることができないのでございます。
尾崎士郎訳『平家物語』灌頂の巻で、建礼門院が法皇に生涯を六道になぞらえて語る中の一節。わが子安徳天皇が小さな手を合わせて海に沈んだ壇ノ浦の光景を、母の目から語り直す痛切な回想。