童謡とは
- 分類
- 形式・ジャンル
- 読み
- どうよう
大正7年(1918年)創刊の児童雑誌「赤い鳥」を舞台に興った、子どものための芸術的な創作歌謡。古くは『日本書紀』などに見える、世相を風刺し予言するとされた作者不明の流行り歌「わざうた」に「童謡」の字を当てたが、近代には子どもの歌の意味で使われるようになった。教訓的で子どもの実感から遠い文部省唱歌への批判から、鈴木三重吉が提唱する童心尊重の運動の一翼として始まり、詩人たちが子どもの心に添う美しい日本語の歌を競って作った。「赤い鳥」で童謡欄の選者を務めた北原白秋は、創作童謡集『とんぼの眼玉』をはじめ「からたちの花」「この道」など数多くの作品を残してその第一人者となった。一方で白秋は、わらべうたやイギリスの伝承童謡の訳『まざあ・ぐうす』にも心を寄せ、子どもが昔から口ずさんできた歌の調べを大切にした。西條八十が「赤い鳥」に発表した「かなりや」は、成田為三の曲を得て広く歌われた最初の童謡となった。大正8年(1919年)創刊の「金の船」(のち「金の星」)では、野口雨情が本居長世らの作曲を得て「十五夜お月さん」「七つの子」「青い眼の人形」などを発表し、白秋・八十・雨情は三大童謡詩人と並び称される。山田耕筰・中山晋平らの作曲家も加わって、童謡はレコードやラジオを通じて全国に広まり、運動は昭和初期まで続いた。童謡は全国の子どもたちに歌い継がれて、日本の子どもの歌の姿を一変させた。