赤い鳥とは
- 分類
- 結社・団体
- 読み
- あかいとり
大正7年(1918年)7月1日、鈴木三重吉が創刊した童話・童謡の児童雑誌。子どもに本当に芸術的な読み物を与えたいという三重吉の理念に、夏目漱石門下の縁もあって多くの作家が賛同し、創刊号には芥川龍之介がはじめて手がけた童話『蜘蛛の糸』(大正7年7月)が掲載された。芥川はのちに唐代の伝奇に材を取った『杜子春』(大正9年)も寄せ、有島武郎の『一房の葡萄』(大正9年)、小川未明の『月夜と眼鏡』(大正11年)など、大人の文学の書き手による創作童話が誌面を飾った。三重吉は投稿された原稿にみずから手を入れることでも知られ、子どもの綴方(作文)や自由画の投稿欄を設けて、子どもが自分の言葉で書き、描くことも励ました。童謡では北原白秋が選者として活躍し、西條八十の「かなりや」は成田為三の曲を得て広く歌われた。昭和4年(1929年)に一度休刊し、昭和6年(1931年)に復刊したのちの昭和7年(1932年)1月号には、無名の青年だった新美南吉が投じた『権狐』に三重吉が加筆・改題した『ごん狐』が掲載され、南吉はここから童話作家としての道を歩みはじめた。昭和11年(1936年)6月に三重吉が亡くなり、同年の追悼号をもって終刊した。大人の作家が子どものために書き下ろす創作童話・童謡運動の中心誌として、「金の船」「童話」などの後続誌も生み、日本の近代児童文学の出発点として大きな足跡を残した。