木曜会とは

分類
結社・団体
読み
もくようかい

明治39年(1906年)ごろ、名声が高まって増える来客が仕事の妨げになった夏目漱石が、門下の鈴木三重吉の勧めで木曜日の午後を面会日と定めたことに始まる、漱石を囲む文学サロン。のちに「漱石山房」と呼ばれる牛込の漱石宅に木曜ごとに集ったことから「木曜会」と称された。小宮豊隆・鈴木三重吉・森田草平・阿部次郎は「四天王」と呼ばれ、物理学者で随筆家の寺田寅彦、内田百閒、安倍能成、のちに岩波書店を興す岩波茂雄ら多彩な顔ぶれが集まった。鈴木三重吉は漱石に激賞された『千鳥』で世に出て、のち児童雑誌「赤い鳥」を創刊し、寺田寅彦は『団栗』などの随筆に科学者らしい観察眼を生かした独自の境地を開いた。この時期の漱石は「朝日新聞」に『三四郎』『こゝろ』などを連載している。大正4年(1915年)11月には芥川龍之介が久米正雄とともに加わり、漱石は無名の芥川が書いた『鼻』を激賞して文壇へ押し出した。彼ら新進はやがて新思潮派として大正文学を担う。漱石の没した大正5年(1916年)とともに会は自然に消えたが、多くの逸材を育てた場として近代文学史に名を残す。

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