新思潮派とは
- 分類
- 文芸思潮
- 読み
- しんしちょうは
大正中期、第三次・第四次「新思潮」に拠った芥川龍之介・菊池寛・久米正雄・松岡譲らの一派。第三次「新思潮」は大正3年(1914年)、東京帝国大学の学生だった芥川・菊池・久米に山本有三・豊島与志雄らが加わって創刊され、大正5年(1916年)の第四次は芥川・菊池・久米・松岡・成瀬正一の五人で始まった。その創刊号に載った芥川の『鼻』を夏目漱石が手紙で激賞したことが、芥川の文壇登場のきっかけとなる。自然主義のありのままの平面的な描写にも、白樺派の楽天的な理想主義にも与せず、現実を理知の目で捉え直し、明確な主題のもとに構成の妙を凝らした短編を得意としたことから、新現実主義(新技巧派・新理知派)とも呼ばれる。漱石門下の芥川は『羅生門』『鼻』『地獄変』など古典に取材した歴史小説で人間心理を鋭く解剖し、菊池は第四次「新思潮」に発表した戯曲『父帰る』や『恩讐の彼方に』など主題の明快な作品で人生の実相を突いた。久米は『父の死』などの短編で出発し、のちに通俗小説へ転じたほか、評論『「私」小説と「心境」小説』で私小説論にも名を残している。大正文学の主流の一つとして白樺派と並び立ったが、菊池は大正12年(1923年)に「文藝春秋」を興して文壇の大御所となり、昭和2年(1927年)の芥川の自殺によって、この一派の時代は事実上の終わりを迎えた。