南蛮趣味とは
- 分類
- その他
- 読み
- なんばんしゅみ
室町時代末から江戸時代初めにかけてポルトガルやスペインから伝わった文物やキリシタンの信仰に、異国情緒と神秘の美を見いだして詩や小説の題材とした、明治末から大正期の文学の風潮。明治40年(1907年)夏、与謝野寛(鉄幹)が北原白秋・木下杢太郎・吉井勇・平野万里とともに天草・長崎など九州を旅し、紀行文「五足の靴」を「東京二六新聞」に連載したことが、キリシタン遺跡への関心を呼ぶきっかけとなった。白秋は第一詩集『邪宗門』(明治42年)で切支丹の伝説と南蛮渡来の品々を濃密な色彩と官能の言葉でうたい、杢太郎は同年「スバル」に戯曲「南蛮寺門前」を発表して、パンの会に集った耽美派の若者たちの南蛮趣味を代表した。大正期には芥川龍之介が「煙草と悪魔」(大正5年)を皮切りに「切支丹物」と呼ばれる一連の短編を書き、長崎の耶蘇会が刊行したと称する架空の書を典拠に掲げた「奉教人の死」(大正7年)や、日本の風土が外来の教えを作り変えてしまう力を語る「神神の微笑」、信仰よりも肉親への情を選ぶ少女を描いた「おぎん」(ともに大正11年)などに結実させた。なお「南蛮文学」の語は、16〜17世紀のキリシタン版(天草本『平家物語』など)を中心とするキリシタン文学の別名であり、この近代の風潮とは区別される。