耽美派とは
- 分類
- 文芸思潮
- 読み
- たんびは
道徳や実用よりも官能美・退廃美の享受を至上とし、耽美的な芸術至上主義を掲げた明治末〜大正期の反自然主義の一派。唯美主義とも呼ばれる。自然主義の陰鬱な現実描写への反発から生まれ、明治41年(1908年)に始まった青年詩人と画家たちの「パンの会」や、雑誌「スバル」がその温床となった。欧米から帰国した永井荷風は、フランス世紀末文学の影響のもと、隅田川沿いの下町の情緒と哀愁を描いた『すみだ川』(明治42年)などで先駆をなし、慶應義塾の雑誌「三田文学」(明治43年創刊)を主宰して後進を育てた。荷風はのちにも、玉の井の私娼窟を舞台にした『濹東綺譚』(昭和12年)で、消えゆく東京の情緒を描き続けている。谷崎潤一郎は第二次「新思潮」に発表した『刺青』(明治43年)で女の肉体に宿る妖しい美を描き、荷風の激賞を受けて文壇に登場し、以後も官能と幻想を追求し続けた。荷風に学んだ佐藤春夫が『田園の憂鬱』(大正7年)で倦怠と幻想に満ちた抒情を確立し、晩年の岡本かの子も、老いた芸妓の尽きない生命力を描いた『老妓抄』(昭和13年)などの独自の官能表現によって、この系譜に連なるとされる。北原白秋・木下杢太郎らの詩人もこの美意識を共有した。白樺派の理想主義とは対照的な美意識として並び立った。