芸術至上主義とは
- 分類
- 文芸思潮
- 読み
- げいじゅつしじょうしゅぎ
芸術は、道徳や政治、実用などの目的に従属せず、それ自体の価値のために存在するという考え方。十九世紀のフランスで、テオフィル・ゴーティエらが広めた「芸術のための芸術」という標語が源流で、ゴーティエは小説『モーパン嬢』(1835年)の序文で、役に立つものはすべて醜いと述べて功利主義を退けた。この考えはボードレールらの象徴派や、イギリスのペイター、オスカー・ワイルドらの唯美主義へと受け継がれた。日本には明治時代に紹介され、上田敏らの翻訳や評論を通じて広まった。ゴーティエの短編も、芥川龍之介が学生時代に英訳から訳した『クラリモンド』(大正3年)などで読まれている。明治末から大正にかけて、永井荷風、谷崎潤一郎らの耽美派は、現実の道徳を離れた美の世界を描き、谷崎は『刺青』(明治43年)で、女の肌に美を刻むことに取りつかれた刺青師を描いた。芥川龍之介は『戯作三昧』(大正6年)で、世の評判や道徳と創作の衝動のあいだで揺れる曲亭馬琴を、『地獄変』(大正7年)で、芸術のために人間の情を捨てる絵師を描いて、この問題を正面から主題とした。芥川は遺稿『或阿呆の一生』で「人生は一行のボオドレエルにも若かない」と記している。社会的な効用を求めるプロレタリア文学や、教訓を求める勧善懲悪の考えとは対立する立場にあり、昭和初期には芸術の自律を守ろうとする新興芸術派の主張にもつながった。現実の生活よりも芸術を重んじるその姿勢は、作家自身の生き方の問題としても、近代の文学者たちに問われ続けた。