新感覚派とは
- 分類
- 文芸思潮
- 読み
- しんかんかくは
関東大震災後の大正13年(1924年)10月、横光利一・川端康成・片岡鉄兵・中河与一・今東光らが創刊した同人誌「文芸時代」に拠り、既成のリアリズムを刷新しようとした前衛的な一派。評論家の千葉亀雄が同年11月、「新感覚派の誕生」と題する評論でこの名を与えた。横光はすでに『蠅』(大正12年)で、馬車に止まった一匹の蠅の目を借りるような意表をつく構成を見せていたが、「真昼である。特別急行列車は満員のまま全速力で駆けていた」の書き出しで知られる『頭ならびに腹』(大正13年)で、感覚的な比喩と大胆な擬人法を凝らした文体を掲げ、この一派の方向性を印象づけた。川端は「新進作家の新傾向解説」(大正14年)で、ヨーロッパの表現主義やダダイズムの影響のもと、事物を感覚で直接とらえる新しい表現を理論づけ、自身も『伊豆の踊子』(大正15年)などを「文芸時代」に発表した。のちの横光は『機械』(昭和5年)で意識の流れを取り入れた実験的な心理描写を追求している。同時期に台頭したプロレタリア文学の「文芸戦線」勢力とは、文学における感覚と思想のどちらを優先するかをめぐって対立する形で並び立ったが、「文芸時代」は昭和2年(1927年)に終刊し、運動体としては数年で分裂・拡散した。横光・川端はそれぞれ独自の作風へ進み、その表現の実験は新心理主義やモダニズムの文学へと受け継がれた。