小説神髄とは
- 分類
- 形式・ジャンル
- 読み
- しょうせつしんずい
坪内逍遥が著した小説論で、明治18年(1885年)9月から翌19年にかけて松月堂から分冊で刊行された。近代日本で最初の体系的な小説論とされる。上巻では小説の歴史・主眼・種類・効用を、下巻では文体や筋の立て方、主人公の置き方、叙述の方法などを論じた。逍遥は江戸時代の戯作を支配した勧善懲悪の考え方を退け、「小説の主脳は人情なり、世態風俗これに次ぐ」と述べて、小説の主眼は人間の感情(人情)を写すことにあり、世の中のありさまや風俗はその次であるとした。曲亭馬琴の『南総里見八犬伝』の人物を、仁義八行の徳目を形にしただけの存在だと批判したことはよく知られている。小説の目的は教訓ではなく、人の心理をありのままに描くことだとして写実主義の立場を示し、戯作として低く見られていた小説を、美術(芸術)の一つとして社会的に位置づけた。文体論では、雅文体・俗文体・雅俗折衷体を比べて論じている。逍遥はこの理論を実践するために小説『当世書生気質』(明治18〜19年)を書いたが、理論に比べて作品は旧来の戯作の面影が強かった。逍遥を訪ねて教えを受けた二葉亭四迷は、自らの評論『小説総論』(明治19年)を経て『浮雲』(明治20〜22年)を書き、言文一致体で心理を描いて、この主張を作品として実現した。近代小説の出発点を画した評論として、文学史の上で大きな位置を占める。
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- 浮雲 1887年(明治20年)6月