天明俳諧(中興俳諧)とは
- 分類
- 文芸思潮
- 読み
- てんめいはいかい(ちゅうこうはいかい)
18世紀後半、明和・安永・天明のころ(おおよそ1764〜89年)に各地で起こった俳諧の革新と、その作風。芭蕉の没後、俳諧は点取りや技巧に流れて平俗になったとされ、これに対して芭蕉の精神に立ち返ろうとする蕉風復興の動きが広がった。俳諧を立て直したという意味で中興俳諧ともいう。中心となったのは、京の与謝蕪村とその門人高井几董、名古屋の加藤暁台、江戸の大島蓼太と加舎白雄、加賀の高桑闌更と堀麦水、伊勢の三浦樗良らである。天明3年(1783年)には、暁台が主催した芭蕉の百回忌の取越興行を蕪村と蓼太が後援した。なかでも蕪村(1716〜83年)は、文人画家としても知られ、「菜の花や月は東に日は西に」「春の海終日のたりのたりかな」のように、絵画的で鮮やかな情景と、古典や漢詩をふまえた浪漫的な趣を句に結んだ。俳句と漢詩体を交えた「春風馬堤曲」のような新しい試みもある。蕪村は芭蕉を深く慕ったが、その名声は没後しばらく画名の陰に隠れていた。明治になって正岡子規が『俳人蕪村』(明治30年)で、芭蕉偏重の俳壇に対し、蕪村の句の積極的・客観的な美を論じて再評価の口火を切り、写生を重んじる近代俳句の源流と位置づけた。一方、萩原朔太郎は『郷愁の詩人 与謝蕪村』(昭和11年)で、子規以来の写生の読み方とは別に、蕪村の句に近代の抒情詩に通じる「郷愁」を見いだした。芥川龍之介も短編『雛』の冒頭に蕪村の句を掲げている。天明期は狂歌や洒落本が江戸で流行した時期とも重なり、続く化政期には小林一茶が出る。
関連する用語
この用語に関わる作品
- 俳人蕪村 1897年(明治30年)4月
- 郷愁の詩人 与謝蕪村 1936年(昭和11年)
- 雛 1923年(大正12年)3月