蕉門(蕉門十哲)とは

分類
結社・団体
読み
しょうもん(しょうもんじってつ)

松尾芭蕉の門人たち、またその流れをくむ一派。芭蕉は江戸・京・近江・美濃・尾張・加賀など、旅先の各地に門人を持ち、門人たちは句会で芭蕉と連句を巻き、撰集を編んで蕉風を広めた。江戸では、早くからの門人の宝井(榎本)其角と服部嵐雪、深川の芭蕉庵を提供した杉山杉風がいる。京では向井去来が嵯峨の落柿舎を営み、野沢凡兆とともに『猿蓑』(元禄4年、1691年)を編んだ。『おくのほそ道』の旅に同行した河合曾良、晩年の『炭俵』を編んだ志太野坡らも名高い。とくにすぐれた十人を蕉門十哲と呼び、ふつう其角・嵐雪・去来・内藤丈草・杉風・野坡・越智越人・立花北枝・森川許六・各務支考を挙げるが、後世の選定のため顔ぶれには異説がある。去来の『去来抄』や服部土芳の『三冊子』は、芭蕉の教えを門人が書きとめた俳論で、「不易流行」などの考えを今に伝える。元禄7年(1694年)10月、芭蕉が大坂で病に倒れると、門人たちが駆けつけて最期を看取った。芥川龍之介の『枯野抄』(大正7年)は、この臨終の座に集まった其角・去来・丈草・支考らの胸のうちを一人ずつ描き分けている。芭蕉の没後、蕉門は江戸の其角の流れ、美濃の支考の美濃派などに分かれて各地に広まり、やがて18世紀後半の蕉風復興の動きへとつながった。芥川は『芭蕉雑記』でも其角らとの付合に触れ、森鴎外は『俳句と云ふもの』で、少年のころ蕉門の句を集めた本を読み、去来の句に惹かれたと回想している。

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