枯野抄(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物
師の死を囲む、門弟たちの心のうち
- 歴史
- 心理
- 文字数
- 7,770字
- 読了目安
- 約16分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 大阪府
この作品について
「旅に病むで夢は枯野をかけめぐる」——臨終の芭蕉を囲む門弟たちの心のうちを、一人ずつ容赦なく描き分けた芥川龍之介の短編。悲しみの底に潜む虚栄、安堵、そして解放感。人間の心の複雑さを冷徹に見つめる芥川の筆が、名高い一場面をまったく新しい光のもとに置き直す。
あらすじ
元禄七年十月十二日の午後、大阪御堂前・花屋仁左衛門の裏座敷。俳諧の大宗匠と仰がれた芭蕉庵松尾桃青が、五十一歳を一期として静かに息を引きとろうとしている。枕頭には医者の木節が間遠い脈を守り、伊賀から従いてきた老僕の治郎兵衛が小声の称名を絶やさない。そのまわりに、其角、去来、丈艸、乙州、正秀、支考、惟然といった門弟たちが居並んでいた。芥川はその一人ひとりの心のうちを、順に覗きこんでゆく。臨終の水を取る役を仰せつかった其角は、悲しみのなかにどこか晴れがましさを感じている。几帳面な去来は師の死に打ちひしがれながら、自分の悲しみ方が正しいかを気にしている。抜け目のない支考は、この場を後日どう語るかをすでに考えはじめている。惟然は泣くべき場面で泣けない自分にうろたえる。そして最後に、もっとも謙虚で目立たぬ丈艸である。彼は師の死のさなかに、不思議に安らかな心もちが胸に流れこんでくるのを感じた。それは悲しみが清らかに澄んでゆくような、明け方の光が闇に広がるような感覚だった。だがその正体を、彼は自分でも認めたくない——それは、久しく芭蕉の人格的圧力の桎梏に屈していた自由な精神が、ようやく手足を伸ばそうとする「解放の喜び」だったのである。丈艸は恍惚たる悲しい喜びのなかで、唇にかすかな笑みを浮かべ、恭々しく臨終の芭蕉に礼拝した。
登場人物
- 松尾芭蕉 臨終を迎える俳諧の大宗匠
- 丈艸 解放の喜びに気づく門弟
- 其角・去来・支考・惟然 枕頭に居並ぶ門弟たち
- 木節 脈を診る医者
冒頭部(原文より)
元禄七年十月十二日の午後である。一しきり赤々と朝焼けた空は、又昨日のやうに時雨れるかと、大阪商人の寝起の眼を、遠い瓦屋根の向うに誘つたが、幸葉をふるつた柳の梢を、煙らせる程の雨もなく、やがて曇りながらもうす明い、もの静な冬の昼になつた。
「枯野抄」芥川龍之介(青空文庫)
末尾部(原文より)
丈艸のこの安らかな心もちは、久しく芭蕉の人格的圧力の桎梏に、空しく屈してゐた彼の自由な精神が、その本来の力を以て、漸く手足を伸ばさうとする、解放の喜びだつたのである。彼はこの恍惚たる悲しい喜びの中に、菩提樹の念珠をつまぐりながら、周囲にすすりなく門弟たちも、眼底を払つて去つた如く、唇頭にかすかな笑を浮べて、恭々しく、臨終の芭蕉に礼拝した。
「枯野抄」芥川龍之介(青空文庫)
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