父を売る子(牧野信一)のあらすじ・登場人物
父と酌み交わす妾宅の一夜
- 家族
- 風刺
- 文字数
- 9,894字
- 読了目安
- 約20分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
この作品について
牧野信一が1924年(大正13年)5月号の「新潮」に発表した短編で、同年8月に刊行された作品集の表題作となった。父を題材にした短編を書いたことで父の怒りを買った青年作家の「彼」が、さらに父を描く小説を書き進め、その題を「父を売る子」にしようと考えている、という入れ子の枠組みで始まる。海辺の小さな町で、父と母と彼とがそれぞれ別の家に暮らし、父は妾の家に入り浸っている。母の手前、父を連れ帰りに行ったはずの彼が、いつしか父と差し向かいで酒を酌み交わし、生まれてくる孫の名を相談する晩春の一夜が中心に据えられる。滑稽さと気まずさの入りまじる父子のやりとりを、自嘲を含んだ軽妙な筆で描き、書く者の後ろめたさそのものを作品に織り込んだ、牧野の私小説的な初期作品である。
あらすじ
「彼」は父を題材にした短編を二つ書いた。一つ目を読んだ父は激怒し、一生口をきかないと言い、同じ小さな町に住みながら父子は往来で顔を合わせると避けるようになった。いま彼は、また父を描いた小説を書きかけていて、仕上がれば「父を売る子」と名づけるつもりでいる。物語は、その最初の短編を書く前の晩春の宵にさかのぼる。母の手前、父を連れ帰るはずで妾の家を訪ねた二十七歳の彼は、いつのまにか父と差し向かいで酒を酌み交わしていた。六月に生まれる自分の子のことを聞かれ、祖父になる父をからかい、芸妓たちの前で見得を切る。酔った彼は「親爺は馬鹿だ」と叫んでしまい、気まずくなった父は、孫の名に家の長男に伝わる「英」の字を付けようと話を変える。先祖の名を数え上げ、名の付け方に頭をひねるうち、結局二人は家へ帰らず、連れ立って夜の町へ飲みに出る。翌年の春、歩き始めた子の英雄を妻の周子があやすかたわらで、彼は父のこと、母のこと、自分の家のことを書こうとして筆を投げ、テニスに行くと嘘をついて、父に呼ばれた海岸の料理屋へ自転車で走っていく。やがて不仲になった父との仲は偶然の機会で元に戻り、彼は「父を売る子」を書き継ぐ気力をなくした。代わりに書き始めた題のない小説の第二節の途中で、彼は父の訃報を受け取る。五十三歳の父は脳溢血で急死したのだった。もう父のことは書けそうもない――彼はこの題のない小説に「父を売る子」の題を移すことにし、四十九日の席で一家の主として親族に示す威厳と、言うべき言葉を、今から思い描いている。
登場人物
- 彼 二十七歳の青年。文学を志し、父を題材にした小説を書く
- 父 彼の父。妾の家に入り浸り、材木会社を始めようと奔走している
- 周子 彼の妻。夫と義父の振る舞いに眉をひそめる
- 英雄 彼と周子のあいだに生まれた子
- 母 彼の母。夫の放蕩に嫉妬し、息子に父を連れ帰らせようとする
冒頭部(原文より)
彼は、自分の父親を取りいれた短篇小説を続けて二つ書いた。 或る事情で、或日彼は父と口論した。その口論の余勢と余憤とで、彼はそれ迄思ひ惑うてゐたところの父を取り入れた第一の短篇を書いたのだ。その小説が偶然、父の眼に触れた。父親は憤怒のあまり、
「父を売る子」牧野信一(青空文庫)
末尾部(原文より)
それで彼は、この題の考へてない小説に、「父を売る子」を奪つてつけることにした。 もう直ぐに父の四十九日の忌日が来る。彼は、またあの厭な親族達に会ふことを思ふと辟易したが、此度は急に一家の主人公になつたのだから、ひとつ大いに威厳を示してやらうなどゝ思ひ、その日に云ふべき言葉の腹案と態度のことを今から夢想してゐる。(十三年四月)
「父を売る子」牧野信一(青空文庫)
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