たね子の憂鬱(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物
洋食の作法が気がかり
- 家族
- 風刺
- 文字数
- 3,607字
- 読了目安
- 約7分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
芥川龍之介の晩年の短編。末尾に昭和2年3月28日の日付があり、同年5月号の「新潮」に発表された。夫の先輩の令嬢の結婚披露式に招かれた主婦たね子が、会場の帝国ホテルで出る洋食の食べ方が気になって落ち着かなくなる数日を、会話と日常の細部で描く。背景にあるのは、洋食の作法を教わる機会のなかった当時の庶民の暮らしと、夫の給料や賞与の事情である。ごく小さな出来事を、神経のこまやかな動きとともに追った作品。
あらすじ
たね子は夫の先輩の令嬢の結婚披露式の通知を受け取るが、会場は帝国ホテルで、出るのは洋食である。洋食の食べ方を教わったことのない彼女は、出勤前の夫に「出なければ悪いでしょうか」と何度も尋ね、新聞や古い家政読本で作法を探しては落胆する。見かねた夫が銀座裏のレストランへ連れて行き、ナイフとフォークの使い方を教えるが、たね子は果物の値段まで考えてしまう。当日、彼女は階段の壁を走る大きな鼠を感じたり、パンを口に入れるのさえ震えたりしながら、乾杯の席まで何とか乗り切る。帰り道、夫は酔い、たね子は町の食堂で酒を飲む男の自由を羨み、田舎の母のことを思い出す。翌朝、新聞で読んだ女性の発狂の記事や、線路に飛び込んでしまう夢の話を夫にするが、夫はろくに取り合わず出勤してしまう。残されたたね子は、ぬるい番茶に浮いた油が自分の眉にそっくりだと思いながら、髪を結う気力も起きずに眺めている。
登場人物
- たね子 結婚披露式に出る前に洋食の作法が気になって仕方がない主婦
- 夫 会社勤めの夫。たね子に洋食の食べ方を教える
冒頭部(原文より)
たね子は夫の先輩に当るある実業家の令嬢の結婚披露式の通知を貰った時、ちょうど勤め先へ出かかった夫にこう熱心に話しかけた。 「あたしも出なければ悪いでしょうか?」 「それは悪いさ。」 夫はタイを結びながら、鏡の中のたね子に返事をした。もっともそれは箪笥の上に立てた鏡に映っていた関係上、たね子よりもむしろたね子の眉に返事をした――のに近いものだった。 「だって帝国ホテルでやるんでしょう?」 「帝国ホテル――か?」
「たね子の憂鬱」芥川龍之介(青空文庫)
末尾部(原文より)
「もうゆうべ大しくじりをしたら、あたしでも何をしたかわからないのだから。」 しかし夫は何とも言わずにさっさと会社へ出て行ってしまった。たね子はやっとひとりになると、その日も長火鉢の前に坐り、急須の湯飲みについであった、ぬるい番茶を飲むことにした。が、彼女の心もちは何か落ち着きを失っていた。彼女の前にあった新聞は花盛りの上野の写真を入れていた。彼女はぼんやりこの写真を見ながら、もう一度番茶を飲もうとした。すると番茶はいつの間にか雲母に似たあぶらを浮かせていた。しかもそれは気のせいか、彼女の眉にそっくりだった。 「…………」 たね子は頬杖をついたまま、髪を結う元気さえ起らずにじっと番茶ばかり眺めていた。
「たね子の憂鬱」芥川龍之介(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。