貉(小泉八雲)のあらすじ・登場人物
紀国坂、夜道に泣く女
- 怪奇
- 翻訳
- 文字数
- 1,525字
- 読了目安
- 約3分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
小泉八雲の1904年(明治37年)刊『怪談』に収められた短い物語。英語で書かれた原作を、戸川明三が訳した本文である。舞台は東京の赤坂へ向かう紀国坂。街灯や人力車のない頃、濠と長い塀に挟まれたこの道は、日が暮れると人々が遠回りをするほど寂しい場所だったという。語り手は土地の説明から、かつて京橋方面に住んだ商人の体験へ話を移す。ある晩、その商人が坂を急いで登ると、濠の縁に泣いている女がいる。助けが必要ではないかと考え、声をかけるところから出来事が始まる。短い地の文に、人へ呼びかける言葉、返答を待つ間、途切れる発話を組み合わせている。土地の噂を伝える語り口と、一夜の道行きを追う場面とを、少ない人物と会話でつないだ掌編である。
あらすじ
街灯も人力車もない時代、東京・赤坂の紀国坂は日が暮れると人けもなく寂しく、夜おそくこの坂を一人で登る者はいなかった。そこには貉が出るからだという。ある晩、この坂を急ぐ年老いた商人が、濠のほとりでひとり泣きうずくまる若い女を見つけた。上等な身なりの女を哀れに思った商人が声をかけ、なだめようと近づくと、女はやにわに顔をなでおろす――するとその顔には目も鼻も口もなく、ただ卵のようにつるりとしていた。仰天した商人は一目散に坂を駆け上がり、闇の中をひたすら逃げて、ようやく遠くにともる蕎麦売りの灯を見つける。灯にすがりつくように駆け寄った商人が、息を切らして「女に恐ろしいものを見せられた」と訴えると、蕎麦売りは「その見せたものは、こんなものだったか」と言って自分の顔をつるりとなでた。すると蕎麦売りの顔もまた卵のようにのっぺらぼうになり、それと同時に灯火はふっと消えてしまったのであった。
登場人物
- 年老いた商人 夜の紀国坂で泣く女に声をかけ、のっぺらぼうの怪に遭う京橋方面の商人
- のっぺらぼうの女 紀国坂の濠のほとりで泣きうずくまる若い女。顔をなでると目鼻口のないつるりとした面になる
- 蕎麦売り 逃げてきた商人が助けを求める夜鳴き蕎麦の売り子。その正体もまた顔のない怪であった
冒頭部(原文より)
東京の、赤坂への道に紀国坂という坂道がある――これは紀伊の国の坂という意である。何故それが紀伊の国の坂と呼ばれているのか、それは私の知らない事である。この坂の一方の側には昔からの深い極わめて広い濠があって、それに添って高い緑の堤が高く立ち、その上が庭地になっている、――道の他の側には皇居の長い宏大な塀が長くつづいている。街灯、人力車の時代以前にあっては、その辺は夜暗くなると非常に寂しかった。ためにおそく通る徒歩者は、日没後に、ひとりでこの紀国坂を登るよりは、むしろ幾哩もり道をしたものである。 これは皆、その辺をよく歩いた貉のためである。 貉を見た最後の人は、約三十年前に死んだ京橋方面の年とった商人であった。当人の語った話というのはこうである、――
「貉」小泉八雲(青空文庫)
末尾部(原文より)
『へえ! その見せたものはこんなものだったか?』と蕎麦屋は自分の顔を撫でながら云った――それと共に、蕎麦売りの顔は卵のようになった……そして同時に灯火は消えてしまった。
「貉」小泉八雲(青空文庫)
名文
『へえ! その見せたものはこんなものだったか?』と蕎麦屋は自分の顔を撫でながら云った――それと共に、蕎麦売りの顔は卵のようになった……そして同時に灯火は消えてしまった。
物語の結び。のっぺらぼうから逃げてきた商人が、助けを求めた蕎麦屋にまで同じ顔を見せられる二段構えの落ち。短い怪談を一瞬の暗転で締めくくる。
原文を読む
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