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蒼茫夢(坂口安吾)のあらすじ・登場人物

冬の港町に漂う倦怠

  • 心理
  • 恋愛

坂口安吾 1935年(昭和10年)4月 「作品」

文字数
19,937字
読了目安
約40分
表記
新字旧仮名
種別
小説

この作品について

1935年4月の「作品」に載った短編。かつて港の売春婦だった妻・忍と暮らす草吉のもとへ、自殺をくり返す友人・藪小路当太郎が出入りする。やがて草吉は当太郎の妹とともに、冬の越後の海辺へ向かう。他人の死をめぐる虚しさと旅愁を、湿った情感の文章で描く。

あらすじ

冬の明け方、草吉は、港の売春婦だった妻・忍からうつされた悪疾の不吉な映像に追われて目を覚ます。家には忍の異母妹で十九の弥生が同居し、前夜は友人の藪小路当太郎が泊まっていた。当太郎は港の酒場で知り合った、草吉より五つ年少の若者で、弥生に求婚した後も、気まぐれに旅に出ては戻ってくる。その朝、草吉は階下の便所で血を吐いて倒れている当太郎を見つける。生き返った当太郎は「しくじった、もう死ねない」と呻き、午すぎには何事もなかったように帰ってゆく。後日、草吉は当太郎を訪ねるが、当太郎は「君はどうして生きているのだろう」と草吉に問いかける。やがて当太郎が旅に出たと知り、草吉は妹のまさ子と深夜の列車で雪国へ向かう。越後の海辺の町で再会した当太郎は元気そうだったが、翌朝、姿を消した。まさ子は「どうせ一度はやってしまうのよ」と静かな微笑で言う。夕刻、新潟の旅籠で毒薬自殺をしたという知らせが届き、二人は新潟へ向かう。汽車の中で草吉が買った地方新聞は、当太郎が「生命とりとめる見込」と報じていた。草吉は、自分もこんな風にいつまで生きつづけてしまうのだろうと暗い気持ちに沈む。

登場人物

冒頭部(原文より)

 冬の明方のことだつた。夜はまだ明けない。然し夜明けが近づかうとしてゐるのだ。夜の不気味な妖しさが衰へて、巨大な虚しい悲しさが闇の全てに漲りはじめてゐる。草吉はそのとき自然に目を覚した。  室内も窓の彼方も一色の深い暗闇ではあつたが、重量の加はりはじめた寒気と、胸苦しい悲しみの気配によつて、もはや夜明けに近いことを推定することができた。四時半前後であらうと思つた。  草吉の日毎の目覚めは衰亡の中へ滑りこむやうに展らかれてくるので、殆んど愉しいものではなかつた。それに目覚めた数分のあひだ、奇妙に不吉なことばかり頭に浮んでくるのであつた。ひとつには理性の失はれた時間のせゐであつたらうか。たとへば肉体を腐せてゆく悪疾の気色の悪い映像であつた。病魔は肉体を黒色にむしくひ、汚水のたまつた脳漿の中を蛆虫のやうに蠢めきまはつてゆくのである。目覚めにそれを瞶めてゐる数分のあひだ、然し草吉の心に湧き起るものは不快でもなければ恐怖でもなかつた。全てがひとえに静寂であつた。それを包む全ての心が無のやうであつた。

「蒼茫夢」坂口安吾(青空文庫)

末尾部(原文より)

 草吉はとある停車場で地方新聞の夕刊を買ひもとめた。旅人の自殺も、事件のすくない田舎のことで、新聞は二段抜きに報じてゐた。報道の末尾まで読んでくると、悒鬱な、宿命的な文字が彼の目を暗くした。生命とりとめる見込、としるされてゐるのだつた。  彼はそれをまさ子に示した。まさ子はそれをどう読むだらう? 複雑な思ひはあるにしても、喜びを感じることは当然だつた。  然し草吉の心は暗かつた。生命とりとめる見込といふ、執拗な自殺常習者に果せられた残酷な皮肉も、呪ひの如きものを満した草吉の心にとつては、当太郎の身に起つた事情ではなく、彼自らのことのやうに思はれてゐた。こんな風にしていつまで生きつづけてしまふのだらう、こんな風にして! 汽車の進むにつれて、草吉の苦汁のやうな悒鬱は深まるばかりであつた。

「蒼茫夢」坂口安吾(青空文庫)

原文を読む

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