列車(太宰治)のあらすじ・登場人物
発車前の三分間の見送り
- 恋愛
- 心理
- 文字数
- 3,097字
- 読了目安
- 約6分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
太宰治が、筆名「太宰治」で最初に発表した小説とされる短編。1933(昭和8)年2月、『サンデー東奥』に掲載された。上野発青森行きの列車が出る前の数分間を舞台に、友人に捨てられるように故郷へ帰されるテツさんを見送る「私」の、居心地の悪い思いを描く。
あらすじ
一九二五年に造られたC51型機関車が牽く、上野発青森行き一〇三列車。語り手の「私」は、昨年の冬、友人の汐田が故郷の娘テツさんを国元へ送り返した日に、この列車の見送りに行った。汐田とテツさんは同郷で幼いころからの仲だが、貧しい育ちのテツさんとの結婚を汐田の家は認めず、汐田は父と激しく口論した。汐田が大学を出るころ、テツさんは待ちかねてひとりで上京する。汐田は友人たちに出奔を吹聴したあと、どうしたらいいだろうと私に相談し、別れるほかはあるまいと言われて、微笑して考え込む。やがて汐田から速達が届き、テツさんを明日二時半の汽車で帰すと知らされる。雨の日、私は頼まれもせず、貧しい育ちの妻を連れて上野駅へ行く。窓から身を乗り出したテツさんと妻は、互いに無言でお辞儀をするだけで、見送りの時間をもてあます。私は、動員された兵士の蒼黒い顔を見て、かつて思想団体と関係を持って離れた自分の申し訳が立つ立たぬどころではないと思い、胸苦しくなる。発車間際、私が「災難」という言葉でテツさんを慰めると、妻は貨車の青い鉄札の文字を、「FOR A-O-MO-RI」とたどたどしく小声で読む。
登場人物
- 私 語り手。テツさんを見送りに行く
- 汐田 私の高等学校以来の友人
- テツさん 汐田の故郷の恋人。国元へ帰される
- 妻 私の妻。貧しい育ち
冒頭部(原文より)
一九二五年に梅鉢工場という所でこしらえられたC五一型のその機関車は、同じ工場で同じころ製作された三等客車三輛と、食堂車、二等客車、二等寝台車、各々一輛ずつと、ほかに郵便やら荷物やらの貨車三輛と、都合九つの箱に、ざっと二百名からの旅客と十万を越える通信とそれにまつわる幾多の胸痛む物語とを載せ、雨の日も風の日も午後の二時半になれば、ピストンをはためかせて上野から青森へ向けて走った。時に依って万歳の叫喚で送られたり、手巾で名残を惜まれたり、または嗚咽でもって不吉な餞を受けるのである。列車番号は一〇三。 番号からして気持が悪い。一九二五年からいままで、八年も経っているが、その間にこの列車は幾万人の愛情を引き裂いたことか。げんに私が此の列車のため、ひどくからい目に遭わされた。
「列車」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
妻がもっと才能のある女であったならば、私はまだしも気楽なのであるが、見よ、妻はテツさんの傍にいながら、むくれたような顔をして先刻から黙って立ちつくしているのである。私は思い切ってテツさんの窓の方へあるいて行った。 発車が間近いのである。列車は四百五十哩の行程を前にしていきりたち、プラットフオムは色めき渡った。私の胸には、もはや他人の身の上まで思いやるような、そんな余裕がなかったので、テツさんを慰めるのに「災難」という無責任な言葉を使ったりした。しかし、のろまな妻は列車の横壁にかかってある青い鉄札の、水玉が一杯ついた文字を此頃習いたてのたどたどしい智識でもって、FOR A-O-MO-RI とひくく読んでいたのである。
「列車」太宰治(青空文庫)
名文
番号からして気持が悪い。一九二五年からいままで、八年も経っているが、その間にこの列車は幾万人の愛情を引き裂いたことか。
太宰の初期作『列車』の一節。上野発青森行きの列車に、別れの悲しみを背負わせて語る。友人の恋の顛末へと続いていく。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。