誘惑(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物
洞穴の一夜に迫る誘惑
- 幻想
- 歴史
- 文字数
- 8,081字
- 読了目安
- 約16分
- 表記
- 新字新仮名
この作品について
芥川龍之介の晩年の作品で、映画の脚本のように場面を番号で並べた「読むシナリオ」。日本の南部の山中の洞穴に住む日本人のキリシタン「さん・せばすちあん」を、悪魔と思しき紅毛人の船長が誘惑する一夜を、短い場面の連続で描く。変身する物体や望遠鏡に映る光景など視覚的な幻想が多用される。末尾の後記に、伝説的な日本の天主教徒であるとの説明と参考文献が記されている。昭和2年4月に「改造」へ発表。
あらすじ
日本の南部の山中の洞穴に、日本人の天主教徒「さん・せばすちあん」が一人で祈りながら暮らしている。ある夜、帆前船から降りた猿が現れ、彼の手のパイプや酒瓶、傾城の幻が次々と姿を変えて彼を惑わす。月光の中、彼の影のもう一つは鍔広の帽子にマントの紅毛人の船長となり、彼を岬へ連れて行って望遠鏡をのぞかせる。そこには人間の悲劇や、機械仕掛けの人形が人を襲う未来の光景が映る。船長はさらに星を石ころ、馬鈴薯、蝶、小さなナポレオンへと変えてみせ、近代のカフェでは踊り子たちが彼を囲む。洞穴にはユダの死骸が現れ、さん・せばすちあんは十字を切ることもできなくなる。船長が髑髏を示した時、彼は倒れて十字架を握りしめ、船長は失望して去る。朝日の中で彼は涙を流し、最後の場面は、酒瓶とトランプのある部屋で、顋髯の主人が客を送り出して欠伸をするところで終わる。
登場人物
- さん・せばすちあん 洞穴で祈る日本人の天主教徒
- 紅毛人の船長 山羊のように髯を伸ばした、目の鋭い男。誘惑者
冒頭部(原文より)
1 天主教徒の古暦の一枚、その上に見えるのはこう云う文字である。―― 御出生来千六百三十四年。せばすちあん記し奉る。 二月。小 二十六日。さんたまりやの御つげの日。 二十七日。どみいご。 三月。大 五日。どみいご、ふらんしすこ。 十二日。…………… 2 日本の南部の或山みち。大きい樟の木の枝を張った向うに洞穴の口が一つ見える。暫くたってから木樵りが二人。この山みちを下って来る。木樵りの一人は洞穴を指さし、もう一人に何か話しかける。それから二人とも十字を切り、はるかに洞穴を礼拝する。 3 この大きい樟の木の梢。尻っ尾の長い猿が一匹、或枝の上に坐ったまま、じっと遠い海を見守っている。海の上には帆前船が一艘。帆前船はこちらへ進んで来るらしい。
「誘惑」芥川龍之介(青空文庫)
末尾部(原文より)
73 前の山みち。朝日の光の落ちた山みちはおのずから又もとのように黒いテエブルに変ってしまう。テエブルの左に並んでいるのはスペイドの一や画札ばかり。 74 朝日の光のさしこんだ部屋。主人は丁度戸をあけて誰かを送り出したばかりである。この部屋の隅のテエブルの上には酒の罎や酒杯やトランプなど。主人はテエブルの前に坐り、巻煙草に一本火をつける。それから大きい欠伸をする。顋髯を生やした主人の顔は紅毛人の船長と変りはない。
「誘惑」芥川龍之介(青空文庫)
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