無頼派とは
- 分類
- 文芸思潮
- 読み
- ぶらいは
太平洋戦争の敗戦直後、既成の道徳や文壇の権威への反逆を身をもって生きた作家たち。江戸の戯作者の姿勢に通じるとして新戯作派とも呼ばれる。太宰治・坂口安吾・織田作之助に、石川淳・檀一雄・田中英光らを加えることが多いが、同人誌や結社を持った一派ではなく、作風の共通点からの呼び名である。昭和21年(1946年)11月には、太宰・安吾・織田作の三人が座談会で顔を合わせ、志賀直哉を頂点とする既成の文壇への反発を語り合っている。太宰治は破滅型の生を赤裸々に描いた『人間失格』(昭和23年)を残してまもなく入水自殺し、坂口安吾は既存の道徳の崩壊を肯定的に説く評論『堕落論』(昭和21年)と、伝説的な美をグロテスクな形で描いた小説『桜の森の満開の下』、戦時下の焼け跡の生を描く『白痴』(昭和21年)で戦後文学に衝撃を与えた。織田作之助も大阪の庶民の生態を軽妙な文体で描いた『夫婦善哉』(昭和15年)で知られ、評論「可能性の文学」で志賀直哉流の私小説を批判したが、昭和22年(1947年)に早世した。田中英光は太宰の墓前で自殺している。戦争と価値観の崩壊のただ中で、既成の秩序や偽善を嘲笑し、退廃と自嘲の中にかえって人間の真実を求めようとした彼らの姿勢は、私小説の伝統を極限まで押し進めたものとも、それに反逆したものとも見なされる。