国民新聞とは
- 分類
- 結社・団体
- 読み
- こくみんしんぶん
明治23年(1890年)2月、民友社を率いる徳富蘇峰が創刊した日刊新聞。総合雑誌「国民之友」で唱えた平民主義を掲げ、平明な論調で読者を得たが、日清戦争後は国権論に傾いて桂太郎に接近し、「御用新聞」とも批判された。明治38年(1905年)には日露戦争の講和を支持したため社屋が焼き討ちに遭っている。文芸欄にも力を入れ、蘇峰の弟・徳冨蘆花の『不如帰』(明治31〜32年)が連載されて、のちに単行本が大ベストセラーとなった。明治41年(1908年)には高浜虚子が入社して「国民文学欄」を編集し(明治43年まで)、同じ年には徳田秋声が自然主義へ転じる転機となった『新世帯』を連載した。秋声は大正2年(1913年)にも長編『爛』を載せている。蘇峰は昭和4年(1929年)に退社したが、その後も中里介山の『大菩薩峠』の続巻が連載され(昭和6年)、太宰治が随筆『富士に就いて』(昭和13年)を寄せ、掌編『黄金風景』(昭和14年)で同紙の懸賞に当選するなど、文学とのかかわりは続いた。昭和17年(1942年)、都新聞と合併して「東京新聞」となった。