黄金風景(太宰治)のあらすじ・登場人物
女中をいじめた子供の頃の記憶
- 心理
- 文字数
- 2,954字
- 読了目安
- 約6分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 千葉県
この作品について
太宰治が1939年(昭和14年)3月、『国民新聞』の新春文芸の懸賞に当選して掲載された掌編。子供のころ、のろまな女中のお慶をさんざんいじめた「私」が、のちに落魄して千葉の海辺に暮らすなか、思いがけず彼女と再び顔を合わせる。年月を隔てた二人の立場の違いが、短い場面と簡潔な会話で描かれる。太宰中期の澄んだ文体が知られる一編。
あらすじ
子供のころ、質のよくなかった「私」は、のろまな女中のお慶をことのほかいじめた。絵本の兵隊を切り抜かせては怒鳴りつけ、ついには蹴りつけて、「親にさえ顔を踏まれたことはない。一生おぼえております」と泣かせたこともあった。それから長い年月がたち、家を追われ、病を得て千葉の海辺でわびしく暮らす「私」のもとに、お慶が夫と子を連れて訪ねてくる。かつていじめ抜いた相手に会わせる顔がなく、「私」は居留守を使って逃げ出す。だが浜辺で耳にしたのは、お慶が夫や子に、「あのかたは、お小さいときからひとり変って居られた。目下のものにもそれは親切に」と、誇らしげに「私」を語る声だった。私は立ったまま泣いた。負けた。これは、いいことだ——かれらの勝利は、私のあすの出発にも光を与えるのだと、「私」は思うのだった。
登場人物
- 私 かつて女中をいじめた語り手。今は病み、落魄している
- お慶 「私」に子供のころいじめられた、のろまな女中。今は幸せに暮らす
冒頭部(原文より)
私は子供のときには、余り質のいい方ではなかった。女中をいじめた。私は、のろくさいことは嫌いで、それゆえ、のろくさい女中を殊にもいじめた。お慶は、のろくさい女中である。林檎の皮をむかせても、むきながら何を考えているのか、二度も三度も手を休めて、おい、とその度毎にきびしく声を掛けてやらないと、いつまでも、ぼんやりしているのだ。
「黄金風景」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
私は立ったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け去ってしまうのだ。負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。
「黄金風景」太宰治(青空文庫)
名文
私は立ったまま泣いていた。けわしい興奮が、涙で、まるで気持よく溶け去ってしまうのだ。 負けた。これは、いいことだ。そうなければ、いけないのだ。かれらの勝利は、また私のあすの出発にも、光を与える。
物語の結び。子供の頃にいじめた女中のお慶が、今も自分を慕い、誇らしげに褒めているのを耳にした「私」の独白。敗北を「いいことだ」と受け入れる言葉に、再生への祈りがこもる。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。