青鬼の褌を洗う女(坂口安吾)のあらすじ・登場人物
道徳をこえて生きる虚無の女
- 心理
- 文字数
- 40,368字
- 読了目安
- 約1時間21分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
坂口安吾が1947年(昭和22年)に発表した短編小説。オメカケ(妾)を稼業とする母のもとに育った「私」が、恋愛にも戦争にも醒めた虚無的なまなざしで、みずからの生を語る。娘を高価な「商品」として大金持ちの妾にしようとする母、戦時下の暮らし、そして自分のうちに母の姿を見出す不気味さ。既成の道徳をこえて、たくましくも虚無的に生きる一人の女の姿を、無頼派・安吾が奔放な筆で描いた代表的短編である。
あらすじ
「私」は、オメカケ(妾)を稼業とする母のもとに育った娘である。母は、処女という高価な「商品」である娘を、大金持ちか大華族の妾にしようと、まるで品物のように大事に育て、監視した。だが「私」は、そんな母の愛も、世間も、そして戦争さえも、どこか他人事のように醒めて眺めている。恋愛なんてつまらない、と言い放ち、召集を受けて出征する男たちにだけ、後腐れのないようにと身を任せる。世相がどう移り変わろうと、「私」は、退屈のなかにこそ、かえって面白さを見いだしている。やがて空襲で母が死ぬ。焼けもせず窒息して死んだ母の顔を見て以来、「私」は、近ごろ自分のなかに、あの執念深い母が生き返ってくるのを感じ、そのたびにすくんでしまう。虚無と自由のあわいを漂う「私」は、夢のなかで、谷川に膝をひたし、青鬼の虎の皮の褌を洗っている。褌を干すのも忘れて眠りこけ、青鬼にゆさぶり起こされてはニッコリと腕をさしだす。「すべてが、なんて退屈だろう。しかし、なぜ、こんなに、なつかしいのだろう」。既成の道徳をこえた、女のたくましくも虚無的な生を、無頼派・安吾が奔放な筆で描いた代表的な短編である。
登場人物
- 私 オメカケの母に育てられた娘。恋愛にも戦争にも醒めた虚無的な女で、退屈のなかに面白さを見いだす。母の死後、自らのうちに母が蘇るのを感じる
- 母 オメカケ稼業の女。娘を高価な「商品」として大金持ちや華族の妾にしようとする。空襲で死ぬ
- 青鬼 夢のなかで「私」が褌を洗う相手。たくましく粗野な存在の象徴
冒頭部(原文より)
匂いって何だろう? 私は近頃人の話をきいていても、言葉を鼻で嗅ぐようになった。ああ、そんな匂いかと思う。それだけなのだ。つまり頭でききとめて考えるということがなくなったのだから、匂いというのは、頭がカラッポだということなんだろう。 私は近頃死んだ母が生き返ってきたので恐縮している。私がだんだん母に似てきたのだ。あ、また――私は母を発見するたびにすくんでしまう。
「青鬼の褌を洗う女」坂口安吾(青空文庫)
末尾部(原文より)
私は谷川で青鬼の虎の皮のフンドシを洗っている。私はフンドシを干すのを忘れて、谷川のふちで眠ってしまう。青鬼が私をゆさぶる。私は目をさましてニッコリする。カッコウだのホトトギスだの山鳩がないている。私はそんなものよりも青鬼の調子外れの胴間声が好きだ。私はニッコリして彼に腕をさしだすだろう。すべてが、なんて退屈だろう。しかし、なぜ、こんなに、なつかしいのだろう。
「青鬼の褌を洗う女」坂口安吾(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。