或敵打の話(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物
敵討ちの旅に待つ皮肉
- 歴史
- 心理
- 文字数
- 9,283字
- 読了目安
- 約19分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 熊本県
- 島根県
この作品について
芥川龍之介の歴史小説。寛文年間の熊本藩を舞台に、同僚を斬った剣術指南役を追って日本各地を旅する敵討ちの一行の顛末を描く。発端・一・二・三・大団円・後談という章立てで、年月をかけた探索が、敵討ちらしい華やかな場面を避けて進められる。決まり文句の武士道の物語とは一味違う結末が、短篇ながら読み応えを残す。「雄弁」1920(大正9)年5月号に発表。
あらすじ
寛文七年の春、肥後の細川家の家中で武芸の仕合があり、田岡甚太夫は槍術で名を上げるが、剣術の指南役・瀬沼兵衛との試合では見苦しい負け方をして陰口を叩かれる。三本勝負で兵衛に雪辱を果たした数日後、兵衛は甚太夫と間違えて加納平太郎を暗討ちにして出奔した。平太郎の嫡子・求馬は若党の喜三郎、後見の甚太夫と敵討ちの旅に出る。求馬の念友の津崎左近も途中から加わるが、松山で一人で兵衛に斬りかかって返り討ちにされる。二年余りかけて江戸に出た三人は、求馬が廓の女に心を移したまま病を得て自害し、甚太夫と喜三郎の二人だけが雲州松江で兵衛の居場所をつきとめる。平太郎の命日に、二人は寺の門前で兵衛を待ち構えるが、その日、兵衛は夜になっても現れなかった。やがて甚太夫は重い病に伏し、兵衛もまた同じ病で苦しんでいると知る。医者の松木蘭袋が看取ったのは、敵と味方、二つの死だった。
冒頭部(原文より)
肥後の細川家の家中に、田岡甚太夫と云う侍がいた。これは以前日向の伊藤家の浪人であったが、当時細川家の番頭に陞っていた内藤三左衛門の推薦で、新知百五十石に召し出されたのであった。
「或敵打の話」芥川龍之介(青空文庫)
末尾部(原文より)
寛文十一年の正月、雲州松江祥光院の墓所には、四基の石塔が建てられた。施主は緊く秘したと見えて、誰も知っているものはなかった。が、その石塔が建った時、二人の僧形が紅梅の枝を提げて、朝早く祥光院の門をくぐった。 その一人は城下に名高い、松木蘭袋に紛れなかった。もう一人の僧形は、見る影もなく病み耄けていたが、それでも凛々しい物ごしに、どこか武士らしい容子があった。二人は墓前に紅梅の枝を手向けた。それから新しい四基の石塔に順々に水を注いで行った。…… 後年黄檗慧林の会下に、当時の病み耄けた僧形とよく似寄った老衲子がいた。これも順鶴と云う僧名のほかは、何も素性の知れない人物であった。
「或敵打の話」芥川龍之介(青空文庫)
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。