チャンス(太宰治)のあらすじ・登場人物
恋愛は意志である
- 恋愛
- 文字数
- 8,361字
- 読了目安
- 約17分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
この作品について
「恋愛はチャンスではない。意志である」——世間の恋愛チャンス説に噛みついた、太宰治の軽妙な随筆。辞書の「恋愛」の定義に難癖をつけ、若き日の弘前での一夜を持ち出して、いくら偶然が重なっても意志がなければ恋は成立しないと証明してみせる。最後に置かれた「庭訓」の一行が効いている。
あらすじ
人生はチャンスだ、結婚も恋愛もチャンスだ——したり顔で教える苦労人は多いが、太宰はそれに真っ向から反対する。少なくとも恋愛はチャンスではない、意志である、と。そもそも恋愛とは何か。辞苑を引けば「性的衝動に基づく男女間の愛情」とあるが、この定義はあいまいだ。すき、いとし、ほれる、おもう、したう、こがれる——これらはみな恋愛の感情ではないのか。「恋愛抜きの愛情で行きましょうよ。あなたは、あたしのお兄さまになってね」などと言う女がいるが、そんなときはたいてい男がふられているのだと解して間違いない、と毒づく。続いて太宰は、自分の若い日の一夜を持ち出す。弘前で、妙な縁やらふとした事やらもののはずみやらが三つも四つも重なり、芸者のお篠と二人きりになる状況が整った。それでも何も起こらなかった。強固な意志があれば、偶然がいくら重なっても恋愛は成立しないのだ、という例証である。ではチャンスが何もないのに十年間恋をしつづけた経験はどう説明するのか——それは片恋というものであり、片恋こそ常に恋の最高の姿である、と太宰は答える。そして最後に一行。「庭訓。恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのは、げびた事である」。
冒頭部(原文より)
人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだ。と、したり顔して教える苦労人が多いけれども、私は、そうでないと思う。私は別段、れいの唯物論的弁証法に媚びるわけではないが、少くとも恋愛は、チャンスでないと思う。私はそれを、意志だと思う。
「チャンス」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
それではもう一つの、何のチャンスも無かったのに、十年間の恋をし続け得た経験とはどんなものであるかと読者にたずねられたならば、私は次のように答えるであろう。それは、片恋というものであって、そうして、片恋というものこそ常に恋の最高の姿である。 庭訓。恋愛に限らず、人生すべてチャンスに乗ずるのは、げびた事である。
「チャンス」太宰治(青空文庫)
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