ダス・ゲマイネ(太宰治)のあらすじ・登場人物
同人雑誌を夢みる青春の空騒ぎ
- 心理
- 青春
- 文字数
- 21,597字
- 読了目安
- 約43分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
太宰治が1935年(昭和10年)10月、『文藝春秋』に発表した初期の短編。題はドイツ語で「卑俗なもの」を意味する。失恋した「私」こと佐野次郎が、上野公園の甘酒屋で、饒舌で奇矯な音楽学校の学生・馬場と知り合い、画家や、作中に「太宰治」の名で登場する小説家とともに、同人雑誌の創刊を夢みるようになる。虚栄と芸術談義が飛び交う会話の応酬を、冷ややかなアイロニーで描いた、モダニズム色の濃い作品。
あらすじ
失恋した「私」こと佐野次郎は、毎日、上野公園の甘酒屋にひとりの女を思って通っている。そこで音楽学校の学生・馬場と知り合い、彼の饒舌と奇矯な芸術論に引き込まれていく。馬場は、画家の佐竹、そして「太宰治」という名の小説家までも巻き込んで、同人雑誌「海賊」を創刊しようともちかける。四人はそれぞれの虚栄と空想をぶつけ合い、雑誌の構想に酔いしれる。芸術家気取りの熱に浮かされた佐野次郎は、いつしか自分の失恋も忘れ、新しい仲間との未来を夢みる。だが、その高揚は長くは続かない。物語はあっけない幕切れとともに、青春のばか騒ぎと芸術の夢のむなしさを突きつけて閉じられる。
登場人物
- 佐野次郎 失恋した「私」。上野の甘酒屋に通う青年
- 馬場 音楽学校の学生。同人雑誌の創刊を企てる饒舌な男
- 佐竹 画家。仲間のひとり
- 太宰治 作中に登場する小説家
冒頭部(原文より)
当時、私には一日一日が晩年であった。恋をしたのだ。そんなことは、全くはじめてであった。それより以前には、私の左の横顔だけを見せつけ、私のおとこを売ろうとあせり、相手が一分間でもためらったが最後、たちまち私はきりきり舞いをはじめて、疾風のごとく逃げ失せる。
「ダス・ゲマイネ」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
「こうしてお互いに生きているというのは、なんだか、なつかしいことでもあるな」 「人は誰でもみんな死ぬさ」
「ダス・ゲマイネ」太宰治(青空文庫)
名文
恋をしたのだ。そんなことは、全くはじめてであった。
太宰治『ダス・ゲマイネ』(1935年)の第一章「幻燈」の書き出し。「当時、私には一日一日が晩年であった」という一行に続く、短く言い切った告白。身構えることに慣れた青年が、手放しの恋に落ちたと打ち明ける。
原文を読む
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