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伝吉の敵打ち(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物

二十三年越しの仇討ち

  • 歴史
  • 心理

芥川龍之介 1924年(大正13年)1月 「サンデー毎日」

文字数
4,715字
読了目安
約9分
表記
新字新仮名
種別
小説
舞台
  • 長野県

この作品について

芥川龍之介の短編。信州の百姓の子・伝吉が、幼い日に目の前で父を斬った浪人を二十数年かけて探し当てるという、孝子の仇討ち話である。『旅硯』『農家義人伝』などの文献を引き、細部の食い違う諸説を註つきで比べながら語る体裁をとる。美談として伝わった話に、作者は一歩引いた目を向けている。「サンデー毎日」1924(大正13)年1月号に発表。

あらすじ

信州水内郡笹山村の百姓の子・伝吉は、天保七年の春、十二歳のときに越後浪人の服部平四郎の怒りを買い、父の伝三がかばって芋の穴に隠した。しかし父は平四郎に斬り殺され、伝吉は涙も出ないまま、父を見殺しにした自分への怒りに焼かれる。以後、叔父の旅籠屋で下男同様に暮らしながら仇討ちの工夫を凝らすが、平四郎は行方をくらます。絶望した伝吉は博徒の乾児となり、二十年ほど無頼の生活を送った。安政六年の秋、平四郎が髪を落として倉井村の地蔵堂の堂守になっていると知り、九月七日の夜、長脇差を携えて一人で村へ向かう。地蔵堂の障子を開けて名乗ると、浄観と名乗る老いた坊主は恐怖の色を浮かべるが、やがて微笑して、自分は去年の大患いから腰が抜けて居ざりになったのだと言う。それでも卑怯なことは言わぬと、打たれる覚悟を示す。迷う伝吉は、昔の怒りがよみがえるのを感じ、いきなり浄観を袈裟がけに斬った。仇討ちは評判になり、公儀の咎めもなかった。伝吉のその後は、維新後に材木商となって失敗を重ね、精神に異状を来して五十三歳で死んだという。

冒頭部(原文より)

 これは孝子伝吉の父の仇を打った話である。  伝吉は信州水内郡笹山村の百姓の一人息子である。伝吉の父は伝三と云い、「酒を好み、博奕を好み、喧嘩口論を好」んだと云うから、まず一村の人々にはならずもの扱いをされていたらしい。(註一)母は伝吉を産んだ翌年、病死してしまったと云うものもある。あるいはまた情夫の出来たために出奔してしまったと云うものもある。(註二)しかし事実はどちらにしろ、この話の始まる頃にはいなくなっていたのに違いない。

「伝吉の敵打ち」芥川龍之介(青空文庫)

末尾部(原文より)

 伝吉の見事に仇を打った話はたちまち一郷の評判になった。公儀も勿論この孝子には格別の咎めを加えなかったらしい。もっとも予め仇打ちの願書を奉ることを忘れていたから、褒美の沙汰だけはなかったようである。その後の伝吉を語ることは生憎この話の主題ではない。が、大体を明かにすれば、伝吉は維新後材木商を営み、失敗に失敗を重ねた揚句、とうとう精神に異状を来した。死んだのは明治十年の秋、行年はちょうど五十三である。(註六)しかしこう云う最期のことなどは全然諸書に伝わっていない。現に「孝子伝吉物語」は下のように話を結んでいる。―― 「伝吉はその後家富み栄え、楽しい晩年を送りました。積善の家に余慶ありとは誠にこの事でありましょう。南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。」

「伝吉の敵打ち」芥川龍之介(青空文庫)

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