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風知草(宮本百合子)のあらすじ・登場人物

敗戦直後の暮らしをみつめる

  • 心理
  • 社会

宮本百合子 1946年(昭和21年)9月 「文藝春秋」

文字数
44,107字
読了目安
約1時間28分
表記
新字新仮名
種別
小説
舞台
  • 東京都

この作品について

宮本百合子が1946年(昭和21)9月に『文藝春秋』へ発表した短編。『播州平野』に続く戦後の作品で、主人公ひろ子の暮らしを中心に、敗戦直後の日常が静かな筆致で描かれる。題の「風知草」は庭に生える草の名。武蔵野の一角での素朴な生活の場面から始まり、戦争が終わった直後の空気と、離れていた時間がもたらした微妙な感情とが丁寧にすくい取られる。

あらすじ

武蔵野の雑木林にかこまれた研究所の一隅で、薄く切ったさつまいもを焼きながら、人々がくつろいでいる。敗戦の秋、長い弾圧の時代がようやく終わり、ひろ子のもとには、十数年におよぶ獄中生活を耐え抜いた夫・重吉が帰ってきた。待ちつづけた歳月の末にふたたび始まった夫婦の暮らし。しかしひろ子は、再会の喜びのなかにも、離れていた長い時間が二人のあいだに生んだ、生活感覚や物の考え方の微妙なずれを感じ取る。個人的な暮らしの流儀の違いは、夫婦であればこそ埋めがたいこともある――そう静かに受けとめながら、ひろ子は自分の心を見つめ直してゆく。街には民主主義の芽吹きを告げる集会があふれ、治安維持法の撤廃、同志たちの出獄を伝えるニュース映画に、ひろ子は総毛立って涙する。虐殺された小林多喜二の面影、解放された人々の隊伍のかなたから歩いてくる重吉の幻――さまざまな思いを重ねながら、彼女は新しい時代の胎動を全身で感じ取る。夫婦の再生と、戦後日本の無邪気な出発の姿とを、透明な叙情で描いた名品である。

登場人物

冒頭部(原文より)

 大きな実験用テーブルの上には、大小無数の試験管、ガラス棒のつっこまれたままのビーカア。フラスコ。大さの順に並んだふたつきのガラス容器などがのせられている。何という名か、そして何に使われるものかわからないガラスのくねった長いパイプが上の棚から下っている。透明なかげを投げあっているガラスどもの上に、十月下旬の午後の光線がさしていた。武蔵野の雑木林のなかに建てられている研究所は自然の深い静寂にかこまれていて、実験室の中には微かにガスの燃える音がしていた。一隅の凹んだところで、何かの薬物が煮られているのであった。  ドアに近い実験用テーブルの端に、小さい電気コンロがのっていた。その上に、金網のきれぱしが置かれ、薄く切ったさつまいもが載せられている。まわりに、茶のみ茶碗、鮭カンの半分以上からになったの、手製のパンなどが、ひろげられている。  静かな、すみとおった空気の中に、いもの焼ける匂いが微かに漂いはじめた。

「風知草」宮本百合子(青空文庫)

末尾部(原文より)

 ひろ子は、見ている画面が益々幾重にもなって、きのう見て来た代々木の事務所の入口に、かかげられていた横看板の字が、そこに浮んで来るように思えた。すこしくずした太い字で、日本共産党とかかれている。それは、いかにも大きい板をこしらえたどこかの土木業の誰かが勢こんで筆をふるったという風な文字で、肉太で、べろべろして、ちっとも立派ではなかった。しかし、その大看板が車よせの庇の上で、うららかな冬日を満面にうけているところは、粗野だが真情のある大きな髭男がよろこび笑っているような印象を与えた。通りから見あげて、ひとりでに口元がくずれ、昔の女が笑いをころすときしたようにひろ子は、元禄袖のたもとで口をおさえた。その玄関の中では、きのう、もう多勢の人たちが働いていた。重吉たちのように、のびかかったおもしろい髪で働いている人が少くなかった。まるで短かった重吉のイガグリは、ひろ子がさわると、ごく若い栗のいがのような弾力と柔かさで掌にこたえるように伸びて来ていた。そういう髪の人々が、いそがしそうにその建物を出たり入ったりしながら、第四回の、大会の準備をすすめていた。

「風知草」宮本百合子(青空文庫)

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