貧しき人々の群(宮本百合子)のあらすじ・登場人物
農村を見つめる令嬢の目
- 社会
- 文字数
- 58,242字
- 読了目安
- 約1時間56分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 福島県
この作品について
宮本百合子が1916年(大正5)9月号の『中央公論』に発表した初期の中編。当時17歳で、坪内逍遙の推薦によって世に出たと伝えられる。福島県の農村に滞在する裕福な家の娘「私」が、貧しい農民たちの暮らしを目にして心を揺らす。作者自身が目にした村の暮らしに根ざし、少女の目に映った貧困と、自分の立場への戸惑いが書き込まれている。若い作家の登場を印象づけた作品である。
あらすじ
都会に育った裕福な家の娘「私」は、祖母の郷里である福島の寒村に滞在する。そこで目にしたのは、飢えと無知、病と迷信にとらえられた貧しい農民たちの姿だった。薯の奪い合いに明け暮れる子供たち、医者にもかかれず死んでゆく病人、身を売られてゆく娘――。心を痛めた「私」は、持ち前の熱情から、彼らを救い、その目を開かせようと懸命に働きかける。金を与え、本を読んで聞かせ、親身に世話を焼く。しかし村人たちは施しには群がっても、その心根までは受け入れず、かえって「私」を利用し、陰で嗤う。善意は届かず、愛そうとしても愛しきれない自分に「私」は苦しむ。犬を抱いて沼に身を投げた善馬鹿の死は、その痛切な挫折を象徴するかのようだ。裕福な生まれゆえの傲りと、それでもなお人を思わずにいられない若い誠実さとを、作者は自分自身にも容赦ない目で見据える。一七歳の作者が『中央公論』に発表し、坪内逍遥・島村抱月らに絶賛されて一躍文名を得た、宮本百合子の記念すべき出世作である。
登場人物
- 私 都会の裕福な家に育った娘。祖母の郷里の寒村に滞在し、貧しい村人たちを救おうと理想に燃えるが、善意の空回りに苦しむ
- 善馬鹿 村人から愚か者と侮られている青年。犬を抱いて沼に身を投げる
- 村人たち 飢えと無知と迷信のなかに生きる貧農たち。「私」の施しには群がるが、その心までは受け入れない
冒頭部(原文より)
村の南北に通じる往還に沿って、一軒の農家がある。人間の住居というよりも、むしろ何かの巣といった方が、よほど適当しているほど穢い家の中は、窓が少いので非常に暗い。 三坪ほどの土間には、家中の雑具が散らかって、梁の上の暑そうな鳥屋では、産褥にいる牝鶏のククククククと喉を鳴らしているのが聞える。 壁際に下っている鶏用の丸木枝の階子の、糞や抜け毛の白く黄色く付いた段々には、痩せた雄鶏がちょいと止まって、天井の牝鶏の番をしている。 すべてのものが、むさ苦しく、臭く貧しいうちに、三人の男の子が炉辺に集って、自分等の食物が煮えるのを、今か今かと、待ちくたびれている。
「貧しき人々の群」宮本百合子(青空文庫)
末尾部(原文より)
私の大好きな、私を育てて下さるお天道様はどんなに、「よしよし」と云って下さるか! あの好いお天道様が。…… 善馬鹿の死骸は夜になってから見つかった。 隣村の端れの沼に犬を抱いて彼は溺れていた。 沢山の小海老の行列が、延びた髪の毛の間を、出たり入ったりしていたという。
「貧しき人々の群」宮本百合子(青空文庫)
名文
けれども、私はどうぞして倒れ得る者になりとうございます。地響を立てて倒れ得る者になりとうございます。
十七歳で世に出た宮本百合子の『貧しき人々の群』の「序にかえて」。恐れず進み、倒れてもまた起き上がりたいという決意が若々しい。
原文を読む
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