風琴と魚の町(林芙美子)のあらすじ・登場人物
尾道に流れ着いた行商一家
- 心理
- 文字数
- 13,373字
- 読了目安
- 約27分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 広島県
この作品について
林芙美子が1931年(昭和6年)、「改造」に発表した自伝的短編小説。「放浪記」で世に出た芙美子の、みずからの幼時に取材した出世作のひとつである。風琴(リード・オルガン)を鳴らして薬を売り歩く行商の父と、経を誦しながら夫に従う母、そして断髪の勝ち気な少女「私」。一家が流れ着いた海辺の町・尾道での日々を、子どもの鋭い目を通して描く。貧しさとたくましさ、哀感とユーモアをないまぜにした瑞々しい筆致がきわだつ。
あらすじ
風琴を上手に鳴らす父は、古びた憲兵服をまとって薬を売り歩く行商人だった。母は経を誦しながら夫に従い、断髪で男の子のような十三、四の「私」(まさこ)は、一家を挙げての果てのない旅に飽きている。汽車の窓から日の丸のはためく海辺の町を見た父は、思い立ってそこに降り立つ。魚の看板の多いその港町――尾道である。漁師相手に「オイチニイ、オイチニイ」と風琴を鳴らして薬を売れば商売は上々で、一家は二階借りの部屋に落ち着く。章魚の足を食べたいとねだっては叱られ、母にぶたれて鼻血を流し、それでも旅より落ち着いた暮らしに「私」はつかのまの安らぎを得る。学校にも上がるが、「オイチニイの新馬鹿大将の娘」とはやされ、貧しさはついてまわる。やがて父は、まがいものの化粧水を売った科で警察へ引かれてしまう。夜、警察署の裏窓によじ登って覗いた「私」が見たのは、母の前で巡査にビンタを打たれながら、奇妙な声で風琴を鳴らし売り口上の唄をうたわされる父の姿だった。「馬鹿たれ! 馬鹿たれ!」と叫んで海岸へ走り出した「私」の耳の底で、歯車のようなものがいつまでもギリギリと鳴っていた。貧しい行商一家の哀歓を、少女の澄んだ眼でとらえた自伝的名短編である。
登場人物
- 私(まさこ) 断髪で勝ち気な十三、四の少女。行商の両親とともに各地を旅する。本作の語り手
- 父 風琴を鳴らして薬を売り歩く行商人。人が良く、まがいものの薬を売って警察に引かれる
- 母 経を誦しながら夫に従う。貧しい暮らしのなかで「私」を叱り、また慈しむ
- 階下の夫婦 尾道の二階借り先の階下に住む、足の不自由な元船乗りとその妻
冒頭部(原文より)
父は風琴を鳴らすことが上手であった。 音楽に対する私の記憶は、この父の風琴から始まる。 私達は長い間、汽車に揺られて退屈していた、母は、私がバナナを食んでいる傍で経文を誦しながら、泪していた。「あなたに身を託したばかりに、私はこの様に苦労しなければならない」と、あるいはそう話しかけていたのかも知れない。父は、白い風呂敷包みの中の風琴を、時々尻で押しながら、粉ばかりになった刻み煙草を吸っていた。
「風琴と魚の町」林芙美子(青空文庫)
末尾部(原文より)
悲しさがこみあげて来た。父は闇雲に、巡査に、ビンタをぶたれていた。 「馬鹿たれ! 馬鹿たれ!」 私は猿のように声をあげると、海岸の方へ走って行った。 「まさこヨイ!」と呼ぶ、母の声を聞いたが、私の耳底には、いつまでも何か遠く、歯車のようなものがギリギリ鳴っていた。
「風琴と魚の町」林芙美子(青空文庫)
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