清貧の書(林芙美子)のあらすじ・登場人物
貧しさを肯定する清らかな強さ
- 心理
- 文字数
- 18,063字
- 読了目安
- 約36分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
林芙美子が1931年(昭和6年)、「改造」に発表した自伝的な短編小説。「放浪記」で世に出た芙美子が、貧しくも自由な暮らしのなかで、書くことと生きることへの思いをつづる。故郷も家族も忘れ果てて一人暮らす「私」のもとへ、田舎の母だけがたびたび手紙を寄こす。つましい日々の情景と、詩人らしいみずみずしい感受性、そして清らかな貧しさ(清貧)を肯定する強さとを、芙美子らしい率直な筆致で描いた一編である。
あらすじ
「私」は、もう長いあいだ、たった一人で住みたいと願って暮らしてきた。故郷のことも家族のことも忘れ果て、戸籍の上さえ真白いままにして生きる「私」のもとへ、ただ一人、田舎の母だけが、しくじりがちな娘を案じて、たびたび手紙を寄こしては叱ってくる。貧しい暮らしのなかで、「私」は、朝の石油コンロの威勢のいい唸りを聞きながら熱い茶を啜ることに、爽やかな喜びを見いだす。日暦を一枚一枚めくり、つましくも自由な日々を重ねていく。「私」の心には、与一という男の面影もあった。山の兵営から届く彼の手紙には、頬を染めるような文字が並んでいる。「吾木香すすきかるかや秋くさの、さびしききはみ、君におくらむ」――そんな歌のひとふしが、眼の裏に沁みてくる。清らかな貧しさのなかに、書くことと生きることへの静かな肯定を見いだしていく、芙美子の自伝的な一編である。
登場人物
- 私 故郷も家族も忘れ、一人暮らしを願って生きる女。貧しくも自由な日々に、書くことと生きる喜びを見いだす
- 母 田舎からたびたび手紙を寄こし、しくじりがちな娘を案じて叱る
- 与一 山の兵営から「私」に手紙を送ってくる男
冒頭部(原文より)
私はもう長い間、一人で住みたいと云う事を願って暮した。古里も、古里の家族達の事も忘れ果てて今なお私の戸籍の上は、真白いままで遠い肉親の記憶の中から薄れかけようとしている。
「清貧の書」林芙美子(青空文庫)
末尾部(原文より)
日暦を一枚一枚ひっぺがしては、朝の素晴しく威勢のいい石油コンロの唸りを聞いて、熱い茶を啜る事が、とても爽やかな私の日課となった。 第七番目、第八番目、第九番目、山の兵営からの手紙は頬を染めるような文字で埋っている。――吾木香すすきかるかや秋くさの、さびしききはみ、君におくらむ。とても与一の歌ではあるまい。だが眼の裏に浸みる歌のひとふしではあった。
「清貧の書」林芙美子(青空文庫)
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