下町(林芙美子)のあらすじ・登場人物
行商の女とつかのまの温もり
- 心理
- 文字数
- 11,791字
- 読了目安
- 約24分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
林芙美子が1949年(昭和24年)、「別冊小説新潮」に発表した短編小説(「下町(ダウン・タウン)」)。芙美子晩年の代表的な短編で、映画化もされた。夫をシベリアに抑留されたまま、東京の下町でお茶を売り歩く行商の女りよが、ふとした縁で一人の男と出会う。戦後の貧しさのなかを生きる庶民の哀歓を、澄んだ筆致で写しとった名短編である。
あらすじ
戦後まもない東京の下町。夫をシベリアに抑留されたまま、りよは、幼い子を抱え、静岡のお茶を売り歩く行商をして、その日その日を生きている。寒い風の吹くある日、りよは、暖まらせてほしいと飛び込んだ鉄材置き場の小屋で、鉢巻をした人柄のよい職人風の男――鶴石と出会う。ぶっきらぼうだが情に厚い鶴石は、寒さにかじかむりよをいたわり、火にあたらせ、茶を買ってやる。それをきっかけに、寄る辺ない者どうしの二人のあいだには、つかのまの温かな交わりが生まれていく。だが、その細やかな幸福は長くは続かなかった。ある日りよは、鶴石が事故で亡くなったことを知る。せめて線香の一本でもと思うものの、りよはそれもあきらめる。どうなるものでもないのだ――。シベリアの夫を待ちながら、それでも東京で生きていこうとするりよは、また肩の荷をゆすりあげ、「静岡のお茶はいりませんでしょうか」と、次の家へ声をかけていく。戦後の下町に生きるひとりの女の、つつましくも切ない日々を、芙美子が晩年の澄んだ筆致で描いた名短編である。
登場人物
- りよ 夫をシベリアに抑留されたまま、東京の下町でお茶を売り歩く行商の女。幼い子を抱え、その日その日を生きる
- 鶴石 りよが出会う鉄材置き場の職人風の男。ぶっきらぼうだが情に厚く、りよと温かな交わりを結ぶが、事故で亡くなる
冒頭部(原文より)
風が冷いので、りよは陽の当たる側を選んで歩いた。なるべく小さい家を目的にして歩く。昼頃だつたので、一杯の茶にありつける家を探した。軒づたひに、工事場のやうな板塀を曲つて、銹びた鉄材の積み重ねてある奥をのぞくと、硝子戸の中で、ぱちぱちと火の弾ぜてゐる小舎があつた。
「下町」林芙美子(青空文庫)
末尾部(原文より)
行商をしてみて、茶が売れなかつたら清水へ帰るつもりで、上京して来たのだけれども、りよは、商売があつても、なくても東京がいゝと思つたし、のたれ死しても東京の方がいまはいゝのだ。 りよは堤の青草の上に腰を降ろした。眼の下の、コンクリートのかけらのそばに、仔猫の死骸が向うむきに捨ててあつた。りよはすぐ立つて肩の荷をゆすぶりあげて駅の方へ歩いた。ふつと横路地をはいると、玄関の硝子格子に、板の打ちつけてある貧しげな家へ声をかけた。「静岡のお茶はいりませんでせうか?」
「下町」林芙美子(青空文庫)
原文を読む
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