四年のあいだのこと(久坂葉子)のあらすじ・登場人物
石段ですれちがった人影
- 恋愛
- 心理
- 文字数
- 11,714字
- 読了目安
- 約23分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 兵庫県
- 大阪府
この作品について
1949年(昭和24年)、十八歳の久坂葉子が同人誌「VIKING」に発表した現存最初期の一編。毎朝の細い石段ですれちがうだけの男に十六の少女が抱いた思いが、四年のあいだにどう育ち、どう行き場を失っていったかを追う。少女趣味と自嘲とが同居する筆致はすでに独特で、のちの作品を貫く「みじめさを自分で選びとる」姿勢がここに芽生えている。
あらすじ
スイートピーの花束をかかえた「私」は、家へ帰るはずの足でとなり町のA駅に降り、気づけば見おぼえのある西洋館の前に立っている。すりガラス越しに白い衣がちらついた瞬間、無我夢中で走り出した「私」は、川べりでようやく我に返る——あの人影は誰だったのか。
記憶は四年前へさかのぼる。十六の女学生だった「私」は、通学路の細い石段で毎朝きまって一人の男とすれちがっていた。すれちがいざまの「有難う」だけが交わされる二か月。うるしにかぶれて寝込んだ日、往診に来たのがその人影——笹田明雄という若い外科医だと知れる。夏の脚気の注射で毎日通ってくるようになり、「私」の思いは深くなるが、母は明雄を姉ひろ子の配偶者に選ぼうとする。「私」は縁談をこわそうと石段で懇願し、結局明雄は別の医家へ養子に入って去っていった。
一年、また一年。感傷は情慾に変わり、「私」は群集の中に逃げこもうと職業につくが、かえって彼に近づいてゆく。出張のたび病院の脇を回り道し、ある雨の日ついに訪ねると、そこにいたのは同姓の別人で、彼はとうに退職していた。絶望のなかで無軌道な日々を送るうち、姉から「明雄さんがA市で開業している」と聞かされる。そして今日、「私」はふらふらとここまで来てしまったのだ。
登場人物
- 私 十六の朝、石段ですれちがった人影を四年思いつづける娘
- 笹田(戸田)明雄 山の上に住む若い外科医。のちに医家へ養子に入る
- ひろ子 「私」の姉。明雄との縁談が持ち上がる
- 母 明雄を姉の配偶者に選ぼうとする
冒頭部(原文より)
うすねずみいろの毛地のワンピースを着て、私は花束を持っている。今さっき、知合の家へあそびに行き、その庭に一ぱいあふれるように咲いていたスイートピーをすきなだけきらせてもらい、その帰りである。花はむっとした少し鼻につきすぎる位の香りで、それはこいむらさきやうすいピンクや白や各々の色より発散したものが、また一つになって新しく別なものをこしらえ私に投げかけるようだ。この香りに、何か、不思議な作用があるのだろうか。
「四年のあいだのこと」久坂葉子(青空文庫)
末尾部(原文より)
駅に私が着いた時、電車は大きな音をたてて出た。踏切に悄然とたつ私の影が電車の響きとその大きな車体にふみにじられる。(私の内臓はひきさかれ、濃い血がぽとぽと落ちるのだ。)私はその時、私と彼との終局をはっきり感じた。プラットフォームには一人も人は残っていなかった。彼も子供達も電車に乗って行ってしまった。 「さよなら、明雄さん」 ぐったりしおれてしまったスイートピーの束は、その妖しい香りを未だ発散させていた。五月の太陽は未だその余光を大地にふりそそいでいた。が、それ等は私に対して何一つもたらしはしなかった。
「四年のあいだのこと」久坂葉子(青空文庫)
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