風流仏(幸田露伴)のあらすじ・登場人物
仏師の旅、木曾路の出会い
- 恋愛
- 幻想
- 文字数
- 32,412字
- 読了目安
- 約1時間5分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 長野県
この作品について
1889年(明治22年)9月、吉岡書籍店の叢書『新著百種』第五号として刊行された幸田露伴の小説。主人公の珠運は、仏像を彫る腕を人に褒められても満足せず、古い名工の仕事に近づこうと修業を続けている。やがて道具を肩に旅へ出て、各地の寺社の彫刻を見て歩き、冬の木曾路にある須原の宿に着く。そこで土地の名物である花漬を売る娘・お辰と出会う。仏教の語を章題に用い、修業への志、旅の心細さ、娘の商売言葉などを、語り手の評言も交えて綴る。長く連なる文語の文章には、掛詞や音の響きを楽しむ言い回しが多い。主人公の一途さを称えるだけでなく、世慣れない振る舞いや周囲とのずれを、どこかおかしみのある調子で描く。像の美を追い求めてきた若者が、旅先で人の姿や声に心を動かされる、その入口を描いた作品である。
あらすじ
仏像彫刻の道に一心に打ち込む若い名工・珠運は、諸国の名刹の仏像を巡り学ぶ修業の旅の途中、木曾路須原の宿に泊まる。そこで彼は、花漬を売り歩く美しい娘・お辰と出会い、深く心を通わせて恋に落ちる。お辰は、かつて母を捨てた高位の父を持つ薄幸の生まれであった。二人は将来を誓い合うが、実の父が迎えの使者をよこし、身分ある娘として引き取ろうとしたため、お辰は否応なく珠運のもとから連れ去られてしまう。恋を失った珠運は絶望の淵に沈むが、やがて彫刻家としての魂を奮い立たせ、忘れがたいお辰の面影を一心不乱に仏像へと刻みはじめる。寝食を忘れて彫り上げたその「風流仏」は、まさにお辰その人と見紛うばかりの美しさであった。彫り上がった像に珠運がひたむきな一念を注ぎつづけると、ついに仏像は生命を得たかのように動き出す。珠運の信仰と恋の一念が感応を呼び、彼はお辰とともに白薔薇の香りに包まれ、光輪を負って雲の上へと昇天していく――現世の悲恋が幻想的な救済へと転じる、華麗な結末を迎えるのであった。
登場人物
- 珠運 仏像彫刻に一途に打ち込む若き名工。修業の旅の途上でお辰と出会い恋に落ちる
- お辰 木曾路須原の宿で花漬を売る薄幸の美少女。身分ある父に引き取られ珠運と引き裂かれる
- お辰の父 かつて母子を捨てた高位の人物。娘のお辰を迎えに使者をよこす
冒頭部(原文より)
三尊四天王十二童子十六羅漢さては五百羅漢、までを胸中に蔵めて鉈小刀に彫り浮かべる腕前に、運慶も知らぬ人は讃歎すれども鳥仏師知る身の心耻かしく、其道に志す事深きにつけておのが業の足らざるを恨み、爰日本美術国に生れながら今の世に飛騨の工匠なしと云わせん事残念なり、珠運命の有らん限りは及ばぬ力の及ぶ丈ケを尽してせめては我が好の心に満足さすべく、且は石膏細工の鼻高き唐人めに下目で見られし鬱憤の幾分を晴らすべしと、可愛や一向専念の誓を嵯峨の釈迦に立し男、齢は何歳ぞ二十一の春是より風は嵐山の霞をなぐって腸断つ俳諧師が、蝶になれ/\と祈る落花のおもしろきをも眺むる事なくて、見ぬ天竺の何の花、彫りかけて永き日の入相の鐘にかなしむ程凝り固っては、白雨三条四条の塵埃を洗って小石の面はまだ乾かぬに、空さりげなく澄める月の影宿す清水に、瓜浸して食いつゝ歯牙香と詩人の洒落る川原の夕涼み快きをも余所になし、徒らに垣をからみし夕顔の暮れ残るを見ながら白檀の切り屑蚊遣りに焼きて是も余徳とあり難かるこそおかしけれ。顔の色を林間の紅葉に争いて酒に暖めらるゝ風流の仲間にも入らず、硝子越しの雪見に昆布を蒲団にしての湯豆腐を粋がる徒党にも加わらねば、まして島原祇園の艶色には横眼遣い一トつせず、おのが手作りの弁天様に涎流して余念なく惚れ込み、琴三味線のあじな小歌は聞もせねど、夢の中には緊那羅神の声を耳にするまでの熱心、あわれ毘首竭摩の魂魄も乗り移らでやあるべき。かくて三年ばかり浮世を驀直に渡り行れければ、勤むるに追付く悪魔は無き道理、殊さら幼少より備っての稟賦、雪をまろめて達摩を作り大根を斬りて鷽の形を写しゝにさえ、屡人を驚かせしに、修業の功を積し上、憤発の勇を加えしなれば冴し腕は愈々冴え鋭き刀は愈鋭く、七歳の初発心二十四の暁に成道して師匠も是までなりと許すに珠運は忽ち思い立ち独身者の気楽さ親譲りの家財を売ってのけ、いざや奈良鎌倉日光に昔の工匠が跡訪わんと少し許の道具を肩にし、草鞋の紐の結いなれで度々解くるを笑われながら、物のあわれも是よりぞ知る旅。
「風流仏」幸田露伴(青空文庫)
末尾部(原文より)
其後光輪美しく白雲に駕て所々に見ゆる者あり。或紳士の拝まれたるは天鵞絨の洋服裳長く着玉いて駄鳥の羽宝冠に鮮なりしに、某貴族の見られしは白襟を召て錦の御帯金色赫奕たりしとかや。夫に引変え破褞袍着て藁草履はき腰に利鎌さしたるを農夫は拝み、阿波縮の浴衣、綿八反の帯、洋銀の簪位の御姿を見しは小商人にて、風寒き北海道にては、鰊の鱗怪しく光るどんざ布子、浪さやぐ佐渡には、色も定かならぬさき織を着て漁師共の眼にあらわれ玉いけるが業平侯爵も程経て踵小さき靴をはき、派手なリボンの飾りまばゆき服を召されたるに値偶せられけるよし。是皆一切経にもなき一体の風流仏、珠運が刻みたると同じ者の千差万別の化身にして少しも相違なければ、拝みし者誰も彼も一代の守本尊となし、信仰篤き時は子孫繁昌家内和睦、御利益疑なく仮令少々御本尊様を恨めしき様に思う事ありとも珠運の如くそれを火上の氷となす者には素より持前の仏性を出し玉いて愛護の御誓願空しからず、若又過ってマホメット宗モルモン宗なぞの木偶土像などに近づく時は現当二世の御罰あらたかにして光輪を火輪となし一家をも魂魂をも焼滅し玉うとかや。あなかしこ穴賢。
「風流仏」幸田露伴(青空文庫)
原文を読む
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