伊勢之巻(泉鏡花)のあらすじ・登場人物
伊勢路の一夜に忍ぶ恋
- 恋愛
- 幻想
- 文字数
- 17,630字
- 読了目安
- 約35分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 三重県
この作品について
1905年(明治38年)10月の日付をもつ自序を置き、春陽堂から刊行された参宮物語。旧暦の元日前夜、内宮近い茶店で一人酒を傾けていた青年が、古市の旅館三由屋に泊まる人妻を訪ねる。許されぬ恋の一夜が、伊勢の神域の夜気のなかで、不思議な幻へとつながっていく。本文末の日付は1903年(明治36年)5月。
あらすじ
如月三日の夜更け、伊勢の相の山の茶店で、鼠色の背広の青年が、一人黙って酒を飲んでいる。心配した老婆が宿を尋ねると、古市の三由屋という旅籠の名を口にする。その三由屋には、岐阜で病院を営む里見の夫人・稲子が泊まっていた。老番頭が客の取次ぎに来ると、「立花」という若い客の靴も姿もなく、案内の女中は誰も見なかったと言い、夫人は何事もない顔で受け流す。実は、立花は夫人と示し合わせて靴まで隠し、布団部屋のような押入の闇に忍んでいたのだった。襖越しに夫人が「立花さん」と呼び、包みを渡すと、中の菓子は白と紅で、立花は方角を失う。気づくと靴が独りでに歩き出し、立花は宝玉が光る幻の道を進んでいた。女の童に導かれて池の四阿に着くと、少年のころから忘れたことのない、華族に嫁いだ年上の初恋の人が現れ、将棋盤を挟んで諭す。他人の妻と不義をするのが望みか、と。手を握られた立花は、白髪の老人に変わっていた。気がつくと元の押入で、襖を開けた夫人が「もういいんですよ」と笑いかける。二人は操を守り、立花は夜のうちに宿を抜け出した。
登場人物
- 立花 彫刻師。病み上がりで旅をしている若い男
- 里見稲子 岐阜で病院を営む里見の夫人。立花は、彼女が姉妹のように親しんだ令嬢の従兄にあたる
- 老番頭 三由屋の番頭。夫人を丁重にもてなす
冒頭部(原文より)
「はい、貴客もしお熱いのを、お一つ召上りませぬか、何ぞお食りなされて下さりまし。」 伊勢国古市から内宮へ、ここぞ相の山の此方に、灯の淋しい茶店。名物赤福餅の旗、如月のはじめ三日の夜嵐に、はたはたと軒を揺り、じりじりと油が減って、早や十二時に垂とするのに、客はまだ帰りそうにもしないから、その年紀頃といい、容子といい、今時の品の可い学生風、しかも口数を利かぬ青年なり、とても話対手にはなるまい、またしないであろうと、断念めていた婆々が、堪り兼ねてまず物優しく言葉をかけた。
「伊勢之巻」泉鏡花(青空文庫)
末尾部(原文より)
操は二人とも守り得た。彫刻師はその夜の中に、人知れず、暗ながら、心の光に縁側を忍んで、裏の垣根を越して、庭を出るその後姿を、立花がやがて物語った現の境の幻の道を行くがごとくに感じて、夫人は粛然として見送りながら、遥に美術家の前程を祝した、誰も知らない。 ただ夫人は一夜の内に、太く面やつれがしたけれども、翌日、伊勢を去る時、揉合う旅籠屋の客にも、陸続たる道中にも、汽車にも、かばかりの美女はなかったのである。
「伊勢之巻」泉鏡花(青空文庫)
原文を読む
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