突貫紀行(幸田露伴)のあらすじ・登場人物
職を捨てて東京へ突き進む旅
- 冒険
- 文字数
- 7,818字
- 読了目安
- 約16分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 随筆
- 舞台
- 北海道
- 青森県
- 岩手県
- 宮城県
- 福島県
この作品について
幸田露伴の紀行文。1887年(明治20年)8月、電信技手として北海道に赴任していた二十歳の露伴が、職を捨てて東京へ帰るまでの道中を日記の体で綴ったもので、1893年(明治26年)に発表された。「身には疾あり、胸には愁あり」と始まる漢文調の書き出しで知られる。小樽から船で岩内、寿都、松前を経て函館へ渡り、湯の川温泉に滞在したのち、青森からは陸路で野辺地、盛岡、一ノ関と南下し、北上川を下って松島、仙台、福島へと進む。乏しい所持金、足のまめ、腐った卵や茸による腹痛といった道中の難儀を、狂歌や洒落を交えて率直に記しており、作家として世に出る前の若き露伴の姿を伝える旅日記である。
あらすじ
明治二十年八月二十五日、病と愁いを抱えた「余」は、衣を売り書を質に入れ、突貫してこの逆境を出ようと北海道を発つ。小樽で七夕の大行燈を見、船で岩内、寿都、松前を経て函館へ。そこで憚る筋の人に捕らえられて説諭されたが屈せず、湯の川温泉に移って読書の日々を送る。九月十日、仙台で金を受け取る当てを頼りに、見聞を広めるため陸路で東京へ帰ると決め、青森へ渡る。浅虫、小湊、野辺地と歩き、茸に当たって腹を痛め、七戸ではどじょうの五分切りの汁を狂歌に詠む。雨の峠では足のまめが破れ、腐った卵に二銭を失い、里程の数え方の違いに驚かされる。渋民から車で盛岡、一ノ関へ進み、北上川を船で下って石巻、野蒜に至り、通用しない十銭札のために草鞋も買えずに泣く。松島の景を巡り、塩竈で最後の一銭を神に奉って仙台へ入るが、金はすぐには得られず逗留し、頭痛に苦しむ。わずかな金と馬車券を得て福島に着くと、汽車賃を残すため夜通し歩いて郡山を目指し、月光の下、道に大の字に寝転んで行き倒れの姿を想像する。二十九日、ようやく東京に帰り着くと、父母は老け、祖母は中風で病床にあり、余は慚愧の念に言葉も出なかった。
登場人物
- 余 北海道から東京へ帰る二十歳の青年
- 耕海入道 函館で知り合った紀州出身の老人。千島へ向かうという
冒頭部(原文より)
身には疾あり、胸には愁あり、悪因縁は逐えども去らず、未来に楽しき到着点の認めらるるなく、目前に痛き刺激物あり、慾あれども銭なく、望みあれども縁遠し、よし突貫してこの逆境を出でむと決したり。五六枚の衣を売り、一行李の書を典し、我を愛する人二三にのみ別をつげて忽然出発す。時まさに明治二十年八月二十五日午前九時なり。桃内を過ぐる頃、馬上にて、 きていたるものまで脱いで売りはてぬ いで試みむはだか道中
「突貫紀行」幸田露伴(青空文庫)
末尾部(原文より)
二十九日、汽車の中に困悶して僅かに睡り、午後東京に辛くも着きぬ。久しく見ざれば停車場より我が家までの間の景色さえ変りて、愴然たる感いと深く、父上母上の我が思いなしにやいたく老いたまいたる、祖母上のこの四五日前より中風とやらに罹りたまえりとて、身動きも得したまわず病蓐の上に苦しみいたまえるには、いよいよ心も心ならず驚き悲しみ、弟妹等の生長せるばかりにはやや嬉しき心地すれど、いたずらに齢のみ長じてよからぬことのみし出したる我が、今もなお往時ながらの阿蒙なるに慚愧の情身を責むれば、他を見るにつけこれにすら悲しさ増して言葉も出でず。
「突貫紀行」幸田露伴(青空文庫)
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