冬の蠅(梶井基次郎)のあらすじ・登場人物
衰えた蠅に映す生と死
- 心理
- 文字数
- 10,054字
- 読了目安
- 約20分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
梶井基次郎が1928年(昭和3年)、「創作月刊」に発表した短編小説。結核を病んで自室にこもる「私」が、冬から早春にかけて部屋に居ついた、よぼよぼと衰えた「冬の蠅」たちをじっと見つめるうちに、自らの生と死の危うさへと思いをめぐらせていく。鋭敏な感覚で身辺の事物を凝視し、そこに存在の不安を映し出す、梶井文学らしい心境小説の佳品である。
あらすじ
結核を病んで自室にこもる「私」は、冬から早春にかけて、部屋に居ついた「冬の蠅」たちをぼんやりと眺めて暮らしている。よぼよぼと歩き、指を近づけても逃げず、飛べないのかと思えばやはり飛ぶ、色あせて萎び衰えた蠅たち。かつての夏の不逞なすばしこさを失い、いじけた姿で夜具の上を這うその姿に、「私」は病んだわが身を重ねるように見入っていく。やがて「私」は、鬱屈した部屋を逃れて外へさまよい出て、われとわが身をさいなむように日々を過ごす。ふたたび病んだ身体で部屋に戻った「私」は、いつのまにか部屋から蠅が一匹もいなくなっていることに気づく。留守のあいだ、誰も窓を開けず火をたかなかったために、蠅たちは寒さと飢えで死んでしまったのだ。「私」の静かな生活の余徳を、自分たちの生存の条件としていた彼らの死。そこに「私」は、自分をも生かし、そしていつか気まぐれに殺してしまう何ものかの、幅広い背中のような気配を感じ取り、いっそう深い憂鬱へと沈んでいく。存在の不安と生の危うさを、梶井が鋭敏な感覚でとらえた心境小説である。
登場人物
- 私 結核を病んで自室にこもる語り手。衰えた冬の蠅を見つめるうちに、自らの生と死の危うさへと思いをめぐらせる
- 冬の蠅 私の部屋に居ついた、よぼよぼと衰えた蠅たち。私の留守のあいだ、寒さと飢えで死んでしまう
冒頭部(原文より)
冬の蠅とは何か? よぼよぼと歩いている蠅。指を近づけても逃げない蠅。そして飛べないのかと思っているとやはり飛ぶ蠅。彼らはいったいどこで夏頃の不逞さや憎々しいほどのすばしこさを失って来るのだろう。色は不鮮明に黝んで、翅体は萎縮している。汚い臓物で張り切っていた腹は紙撚のように痩せ細っている。そんな彼らがわれわれの気もつかないような夜具の上などを、いじけ衰えた姿で匍っているのである。
「冬の蠅」梶井基次郎(青空文庫)
末尾部(原文より)
そんなある日のこと私はふと自分の部屋に一匹も蠅がいなくなっていることに気がついた。そのことは私を充分驚かした。私は考えた。おそらく私の留守中誰も窓を明けて日を入れず火をたかなかった間に、彼らは寒気のために死んでしまったのではなかろうか。それはありそうなことに思えた。彼らは私の静かな生活の余徳を自分らの生存の条件として生きていたのである。そして私が自分の鬱屈した部屋から逃げ出してわれとわが身を責め虐んでいた間に、彼らはほんとうに寒気と飢えで死んでしまったのである。私はそのことにしばらく憂鬱を感じた。それは私が彼らの死を傷んだためではなく、私にもなにか私を生かしそしていつか私を殺してしまうきまぐれな条件があるような気がしたからであった。
「冬の蠅」梶井基次郎(青空文庫)
原文を読む
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