歯車(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物
日常の偶然に揺れる心
- 心理
- 文字数
- 25,172字
- 読了目安
- 約50分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
芥川龍之介の晩年の小説。1927年(昭和2年)に第一章が『大調和』へ発表され、同年の作者の死後、『文藝春秋』十月号に全章が掲載された。結婚披露式に出席するため、避暑地から東京へ向かう「僕」は、乗り合わせた理髪店の主人から、雨合羽を着た幽霊の話を聞く。冗談まじりに受け流したはずの言葉が、駅や車中で目にする人の姿と重なり、心に引っ掛かり始める。列車を待つ喫茶店、乗客の会話、衣服や食べ物など、日常的な細部を追う文章の中で、ありふれた偶然が個人的な意味を帯びていく。見たものと、そこから連想したものとを近い距離に置くため、読者も「僕」の注意の向く先をたどることになる。旅や執筆の合間の経験を連ね、外の世界を観察する眼と、自分の感じ方を疑う眼が交差する作品である。作者の生活と重なる素材を持つが、病状の記録としてだけでなく、反復や連想による小説の構成にも特色がある。
あらすじ
知人の結婚披露式に出るため東京へ向かう「僕」は、車中でレエン・コオトを着た幽霊の話を聞く。それ以来、レエン・コオトの男、黒と白の色の符合、「復讐の神」という言葉など、あらゆるものが不吉な意味を帯びて僕を取り囲み始める。視界の右半分には半透明の歯車が回りだしては、頭痛とともに消える。僕はホテルの一室で小説を書き進めながら、書店やカッフェを彷徨し、聖書のこと、姉の夫が鉄道自殺したことを思い返す。義兄は死の直前、レエン・コオトを着ていた。誰かに絶えず見張られ、罰せられようとしているという意識が僕を離れず、ホテルの部屋の外には誰もいないのにスリッパの音が聞こえ、翼のような幻影が目に灼きつく。ついに東京を逃れて妻子の待つ家へ帰るが、そこにも安らぎはない。「もうこの先を書きつづける力を持っていない」——誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか、という叫びで手記は途切れる。
登場人物
- 僕 神経を病み、不吉な符合と幻視に追い詰められていく作家。手記の語り手
- 老人 ホテルの屋根裏に住み、僕に信仰を勧める老人
- 妻 僕の身を案じる妻。夫の死の予感に怯える
冒頭部(原文より)
僕は或知り人の結婚披露式につらなる為に鞄を一つ下げたまま、東海道の或停車場へその奥の避暑地から自動車を飛ばした。自動車の走る道の両がわは大抵松ばかり茂っていた。上り列車に間に合うかどうかは可也怪しいのに違いなかった。
「歯車」芥川龍之介(青空文庫)
末尾部(原文より)
「どうもした訣ではないのですけれどもね、唯何だかお父さんが死んでしまいそうな気がしたものですから。……」 それは僕の一生の中でも最も恐しい経験だった。――僕はもうこの先を書きつづける力を持っていない。こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?
「歯車」芥川龍之介(青空文庫)
名文
こう云う気もちの中に生きているのは何とも言われない苦痛である。誰か僕の眠っているうちにそっと絞め殺してくれるものはないか?
死の年に書かれ、没後に発表された遺稿の結び。神経をすり減らす幻覚の記録の果てに置かれた、近代文学でもっとも知られた絶筆の一行。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。