母(太宰治)のあらすじ・登場人物
隣室から聞こえた一夜
- 心理
- 文字数
- 7,223字
- 読了目安
- 約14分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 青森県
この作品について
津軽の港町の宿での一夜を描いた短編。1947年(昭和22年)3月、雑誌「新潮」に発表された。疎開中の「私」が、知人の宿に泊まった夜、隣室の気配に耳をそばだてる。帰還したばかりの若い航空兵と、彼を迎え入れた女の会話から、やがて女の年齢が明らかになる。「聖母を、あかるみに引き出すな!」——好色漢の直観と、そこに宿る敬虔とが交錯する一篇。
あらすじ
津軽の生家で疎開生活を送っていた「私」は、いちどだけ日本海側の港町へ遊びに行き、そこで哀話にも似た奇妙な事件に接した。復員した青年・小川君の家は旅館を営んでいる。マムシの照り焼を地方文化だと説き、軍服をわざと着て歩く理屈を並べる小川君と、私は大いに飲んだ。声のきれいな四十前後の女中が酒を運んでくる。その夜、二十畳の大きな部屋にひとり寝かされた私は、ふと眼をさまし、隣室の気配に気づく。若い帰還兵と、女。交わされる会話から、女が三十八だと知れた瞬間、息を呑んだのは女中と、そして隣室の私だけだった。翌朝、私は小川君に何も告げなかった。
登場人物
- 私 津軽に疎開している作家。港町の旅館に一泊する
- 小川君 復員した青年。港町で旅館などを営む家の息子
- 女中 声のきれいな四十前後の女。三十八だと名のる
- 帰還兵 昨夜この港町に着いたばかりの若い航空兵
冒頭部(原文より)
昭和二十年の八月から約一年三箇月ほど、本州の北端の津軽の生家で、所謂疎開生活をしていたのであるが、そのあいだ私は、ほとんど家の中にばかりいて、旅行らしい旅行は、いちども、しなかった。いちど、津軽半島の日本海側の、或る港町に遊びに行ったが、それとて、私の疎開していた町から汽車で、せいぜい三、四時間の、「外出」とでも言ったほうがいいくらいの小旅行であった。 けれども私は、その港町の或る旅館に一泊して、哀話、にも似た奇妙な事件に接したのである。それを、書こう。
「母」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
眼がさめた時は、既に午前九時すぎで、隣室の若い客は出発してしまっていた。 床の中で愚図々々していると、小川君が、コロナを五つ六つ片手に持って私の部屋にやって来た。 「先生、お早う。ゆうべは、よく眠れましたか?」 「うむ。ぐっすり眠った。」 私は隣室のあの事を告げて小川君を狼狽させる企てを放棄していた。そうして言った。 「日本の宿屋は、いいね。」 「なぜ?」 「うむ。しずかだ。」
「母」太宰治(青空文庫)
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