彼岸過迄(夏目漱石)のあらすじ・登場人物
青年が見聞きする恋と自意識
- 心理
- 文字数
- 195,224字
- 読了目安
- 約6時間30分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
1912年(明治45年)1月から4月、朝日新聞に連載された夏目漱石の長編。『行人』『こころ』とともに後期三部作に数えられる。大学を出て仕事を探す田川敬太郎は、奔走しても手応えを得られず、気分を変えようと酒を飲んでも陽気になれない。翌朝、同じ下宿の森本と湯屋で出会い、その昔話を聞くことになる。人の経験への好奇心を持つ青年を入口として、会話や聞き語りが別の人間の生活へ読者を案内する。漱石は巻頭の文章で、短編を重ねて一つの長編を作る構想を示し、題名も元日から彼岸過ぎまで書く予定に由来すると説明した。同時に、物語には活動と発展があり、設計図どおりに進むとは限らないとも記している。大病後に連載を再開する作者の心境と、新聞小説の形式への工夫がうかがえる序文である。日常的な応対から、人が他者の心をどこまで理解できるかという問題へ分け入る作品。
あらすじ
大学を出たものの就職先が決まらず、下宿で燻っている敬太郎は、探偵小説めいた冒険に憧れている。同宿の森本から放浪の体験談を聞き、友人の須永を通じて就職を頼んだ実業家・田口の依頼を受け、ある男を停留所から尾行することになる。その男は田口の義弟で、「高等遊民」を自称する松本恒三だった。敬太郎は田口の紹介で職を得て、田口の甥である須永市蔵や、その家族との関わりを深める。須永は幼馴染の従妹・千代子との結婚を周囲に期待されながら、内向的な自意識ゆえに素直になれない。千代子に別の縁談の相手が現れた鎌倉行きでは、嫉妬と自己軽蔑の間で苦しみ、「あなたは卑怯だ」と千代子に面罵される。「須永の話」「松本の話」では、須永が実は母の実子ではなく、父と女中との間に生まれた子であるという出生の秘密が明かされ、須永は旅に出て自らを見つめ直す。敬太郎は人々の長話を聞き集めることで、世の中という劇の入り口に立ったのだった。
登場人物
- 田川敬太郎 大学を出たばかりの青年。物語全体の聞き手役
- 須永市蔵 内向的な自意識に苦しむ敬太郎の友人
- 田口千代子 須永の従妹。快活で真っ直ぐな娘
- 松本恒三 須永の叔父。「高等遊民」を自称する
- 森本 敬太郎と同宿の、放浪の体験談を持つ男
冒頭部(原文より)
敬太郎はそれほど験の見えないこの間からの運動と奔走に少し厭気が注して来た。元々頑丈にできた身体だから単に馳け歩くという労力だけなら大して苦にもなるまいとは自分でも承知しているが、思う事が引っ懸ったなり居据って動かなかったり、または引っ懸ろうとして手を出す途端にすぽりと外れたりする反間が度重なるに連れて、身体よりも頭の方がだんだん云う事を聞かなくなって来た。
「彼岸過迄」夏目漱石(青空文庫)
末尾部(原文より)
要するに人世に対して彼の有する最近の知識感情はことごとく鼓膜の働らきから来ている。森本に始まって松本に終る幾席かの長話は、最初広く薄く彼を動かしつつ漸々深く狭く彼を動かすに至って突如としてやんだ。けれども彼はついにその中に這入れなかったのである。そこが彼に物足らないところで、同時に彼の仕合せなところである。彼は物足らない意味で蛇の頭を呪い、仕合せな意味で蛇の頭を祝した。そうして、大きな空を仰いで、彼の前に突如としてやんだように見えるこの劇が、これから先どう永久に流転して行くだろうかを考えた。
「彼岸過迄」夏目漱石(青空文庫)
名文
僕は自分と千代子を比較するごとに、必ず恐れない女と恐れる男という言葉をくり返したくなる。
「須永の話」で、須永が従妹の千代子と自分とを比べて語る言葉。ためらわずに行動する女と、考えすぎて踏み出せない男という対比に、後期の漱石が追い続けた主題がのぞく。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。
同じ作家の作品
近い作品
- 南地心中 1912年(大正元年)1月
- 興津弥五右衛門の遺書 1912年(大正元年)10月
- 興津弥五右衛門の遺書(初稿) 1912年(大正元年)10月
- カズイスチカ 1911年(明治44年)2月
- 吉原新話 1911年(明治44年)3月
- 妄想 1911年(明治44年)3月