妄想(森鴎外)のあらすじ・登場人物
死を怖れず憧れず
- 心理
- 文字数
- 13,797字
- 読了目安
- 約28分
- 表記
- 新字旧仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 千葉県
この作品について
海辺の砂山に建つ小さな家で、世間との交わりを絶って暮らす白髪の「翁」が、朝日を眺めながら死と生について思いをめぐらす。若き日のドイツ留学で夜ごと襲われた「自我が無くなる」ことへの恐れ、ハルトマン、ショーペンハウアー、シュティルナー、ニーチェと渡り歩いた哲学との格闘、帰国後に学問の場から外された失意が、回想としてたどられる。死を怖れもせず、あこがれもせずに人生の下り坂を下る境地へ至るまでを描く、鴎外の内省的な短編。
あらすじ
秋の近い朝、上総の海を見下ろす砂山の上の小さな家で、白髪の主人が昇る朝日を眺めている。老僕の八十八と二人きり、世間との交わりを絶って暮らす彼は、日輪を見ながら時間と生、そして死のことを考える。思い出されるのは、二十代でドイツに留学していた頃のことだ。昼は講堂や実験室で生き生きと働きながら、下宿に帰って明かりを消すと、故郷への郷愁とともに、いつか自分という存在が無くなるのだという考えに襲われ、眠れぬ夜を重ねた。それを突き詰めようとハルトマンの哲学を買い、ショーペンハウアー、シュティルナーを読み進めたが、どれも彼に安らぎを与えなかった。留学を終えて帰国すると、迎える故郷の人々は洋行帰りに失望し、都市改造や食物改良、仮名遣いの議論でも彼は保守的な立場に追いやられた。研究を続けたくても地位と境遇が彼を仕事場から撥ね出し、やがて哲学や文学の本を読んで暮らすようになる。ニーチェの超人哲学にも酔いはしたが、辻に立ち多くの師に帽を脱ぎながら、誰か一人の主に従うことはなかった。足ることを知れず、「永遠なる不平家」を自認する彼は、それでも死を怖れず、死にあこがれもせず、人生の下り坂を下ってゆく。砂の山を歩き、小さな虫眼鏡で草の花を見て日を送る翁がふと書き捨てた反古、というのがこの作品である。
登場人物
- 主人(翁) 世間との交わりを絶ち、海辺の砂山の小家で暮らす白髪の老人。若い頃のドイツ留学と帰国後の失意を回想する
- 八十八 主人に仕える老僕。野菜の膳を拵える
冒頭部(原文より)
その砂山の上に、ひよろひよろした赤松が簇がつて生えてゐる。余り年を経た松ではない。 海を眺めてゐる白髪の主人は、此松の幾本かを切つて、松林の中へ嵌め込んだやうに立てた小家の一間に据わつてゐる。 主人が元と世に立ち交つてゐる頃に、別荘の真似事のやうな心持で立てた此小家は、只二間と台所とから成り立つてゐる。今据わつてゐるのは、東の方一面に海を見晴らした、六畳の居間である。
「妄想」森鴎外(青空文庫)
末尾部(原文より)
その翁の過去の記憶が、稀に長い鎖のやうに、刹那の間に何十年かの跡を見渡させることがある。さう云ふ時は翁の炯々たる目が大きくられて、遠い遠い海と空とに注がれてゐる。 これはそんな時ふと書き捨てた反古である。
「妄想」森鴎外(青空文庫)
原文を読む
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