女生徒(太宰治)のあらすじ・登場人物
少女の一日、揺れ動く独白
- 青春
- 心理
- 文字数
- 31,166字
- 読了目安
- 約1時間2分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
- 舞台
- 東京都
この作品について
太宰治が1939年(昭和14年)4月の『文學界』に発表した小説。父を亡くし、母と暮らす女生徒の、目覚めから眠りまでの一日を独白で綴る。素材になったのは、読者の有明淑から送られた日記である。日記の言葉や観察を取り入れながら、一人の少女が一日に思いめぐらすこととして構成した。朝の気だるさ、眼鏡を外して見る風景、服装や他人の仕草への関心など、小さな感覚をきっかけに話題が次々と移る。自分を美しく見せたい願いも、母への親しみも、意地の悪い気持ちも、そのまま言葉にしたかと思うと、すぐに言い直したり問い返したりする。短い断言と長く連なる比喩が交互に現れ、声に出して考えているような文章を作っている。出来事の大きさよりも、それを見たり思い出したりする心の動きに、一日の時間を感じさせる作品だ。
あらすじ
父を亡くし、母と二人で暮らす「私」は、寝起きの不機嫌な気分から一日を始める。電車の中で見かけた人々への観察、学校での級友とのやり取り、着物や眼鏡についてのとりとめのない感慨など、心に浮かんでは消えるさまざまな思いを「私」は率直に語っていく。友人への複雑な感情、亡き父への想い、大人になることへの漠然とした不安と苛立ちが入り混じるなか、夜には母をいたわり、本を読んで聞かせる。風呂場で洗濯しながら窓の月を眺め、思春期の苦しさに思いを巡らせたのち、眠りにつく。
登場人物
- 私 父を亡くし母と二人で暮らす女生徒。ある一日の心の揺れ動きを一人称で語る
- お母さん 私の母。病がちで、私を静かに見守っている
冒頭部(原文より)
あさ、眼をさますときの気持は、面白い。かくれんぼのとき、押入れの真っ暗い中に、じっと、しゃがんで隠れていて、突然、でこちゃんに、がらっと襖をあけられ、日の光がどっと来て、でこちゃんに、「見つけた!」と大声で言われて、まぶしさ、それから、へんな間の悪さ、それから、胸がどきどきして、着物のまえを合せたりして、ちょっと、てれくさく、押入れから出て来て、急にむかむか腹立たしく、あの感じ、いや、ちがう、あの感じでもない、なんだか、もっとやりきれない。
「女生徒」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
眠りに落ちるときの気持って、へんなものだ。鮒か、うなぎか、ぐいぐい釣糸をひっぱるように、なんだか重い、鉛みたいな力が、糸でもって私の頭を、ぐっとひいて、私がとろとろ眠りかけると、また、ちょっと糸をゆるめる。すると、私は、はっと気を取り直す。また、ぐっと引く。とろとろ眠る。また、ちょっと糸を放す。そんなことを三度か、四度くりかえして、それから、はじめて、ぐうっと大きく引いて、こんどは朝まで。 おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。
「女生徒」太宰治(青空文庫)
名文
あさ、眼をさますときの気持は、面白い。
少女の一日を一人称でつづった作品の書き出し。読者へ話しかけるような軽い口調のまま、揺れ動く内面の独白へと続いていく。
幸福は一夜おくれて来る。
一日の終わりに床へ倒れ込んだ少女が、ふと思い出す言葉。幸福はいつも一足違いで訪れるという感覚が、作品全体に淡く漂う。
明日もまた、同じ日が来るのだろう。幸福は一生、来ないのだ。それは、わかっている。けれども、きっと来る、あすは来る、と信じて寝るのがいいのでしょう。
一日の終わり、床に入る少女の独白。幸福は来ないと知りながら、それでも明日を信じて眠ろうとする、はかなくも健気な心が描かれる。
おやすみなさい。私は、王子さまのいないシンデレラ姫。あたし、東京の、どこにいるか、ごぞんじですか? もう、ふたたびお目にかかりません。
作品の結び。読者へ語りかけてきた少女の一日の独白は、王子のいないシンデレラという自画像と、軽やかな別れの言葉で閉じられる。
眼鏡をとって、遠くを見るのが好きだ。全体がかすんで、夢のように、覗き絵みたいに、すばらしい。汚ないものなんて、何も見えない。大きいものだけ、鮮明な、強い色、光だけが目にはいって来る。
朝、鏡台の前に座った少女の独白。眼鏡を外してかすんだ世界を「すばらしい」と感じる感覚に、この作品の瑞々しい語りの魅力が詰まっている。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。