十円札(芥川龍之介)のあらすじ・登場人物
十円札に賭けた威厳
- 風刺
- 心理
- 文字数
- 8,648字
- 読了目安
- 約17分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
芥川龍之介の短編。海軍の学校で英語を教える教官・堀川保吉が主人公の「保吉もの」の一編である。月給日まで二週間を残して手元が六十何銭になった保吉が、同僚の老教官・粟野さんから十円札を差し出されたことから、自尊心と金銭の間でひとり格闘する一日半を描く。誇張された自意識とささやかな出来事の落差が、軽やかな笑いを生んでいる。「改造」1924(大正13)年9月号に発表。
あらすじ
初夏の朝、英語教官の堀川保吉は、ポケットに六十何銭しかないことを嘆きながら駅へ向かう。月給日まで二週間あり、楽しみにしていた日曜の東京行きが危うい。道連れになった老教官の粟野さんに、売文の苦しさを大げさに訴えて懐の寂しさまで打ち明ける。教官室で保吉が下調べをしていると、粟野さんが現れて四つ折りの十円札を差し出す。保吉は狼狽して一度断るが、十分ほど逡巡したあと、断るのは卑怯だと思い直して拝借を申し出る。帰りの汽車で、保吉は十円札を月曜に必ず返すと決め、前借りのあてのある雑誌社まで乗り越そうかと迷う。しかし、危険な論理に気づいて身震いして思いとどまる。翌日の日曜の夕暮れ、下宿の古籐椅子に座った保吉は、十円札を保存することに成功し、出版社から印税の手紙も届いて、満足にあふれている。
冒頭部(原文より)
ある曇った初夏の朝、堀川保吉は悄然とプラットフォオムの石段を登って行った。と云っても格別大したことではない。彼はただズボンのポケットの底に六十何銭しか金のないことを不愉快に思っていたのである。
「十円札」芥川龍之介(青空文庫)
末尾部(原文より)
「ヤスケニシヨウカ」 保吉は十円札を膝の上へ返した。それから庭先の夕明りの中へ長ながと巻煙草の煙を出した。この一枚の十円札もこう云う楽書の作者にはただ酢にでもするかどうかを迷わせただけに過ぎなかったのであろう。が、広い世の中にはこの一枚の十円札のために悲劇の起ったこともあるかも知れない。現に彼も昨日の午後はこの一枚の十円札の上に彼の魂を賭けていたのである。しかしもうそれはどうでも好い。彼はとにかく粟野さんの前に彼自身の威厳を全うした。五百部の印税も月給日までの小遣いに当てるのには十分である。 「ヤスケニシヨウカ」 保吉はこう呟いたまま、もう一度しみじみ十円札を眺めた。ちょうど昨日踏破したアルプスを見返えるナポレオンのように。
「十円札」芥川龍之介(青空文庫)
原文を読む
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