駈込み訴え(太宰治)のあらすじ・登場人物
訴える声に揺れる愛と憎しみ
- 心理
- 文字数
- 13,490字
- 読了目安
- 約27分
- 表記
- 新字新仮名
- 種別
- 小説
この作品について
1940年(昭和15年)2月、『中央公論』に発表された太宰治の短編。「旦那さま」に向かい、一人の男が「あの人」を訴える言葉だけで進む小説である。相手は自分の師であり主でもあるのに、同い年で大した違いはないはずだと、男は不満をまくしたてる。食べ物や金の工面をして尽くしたという自負から、感謝されない恨みへ、さらに相手の美しさを称える言葉へと、話は次々に揺れ動く。聞き手の返答や場面を説明する地の文を置かず、同意を求める相槌、繰り返す呼びかけ、自分で自分の発言を訂正する口調から、切迫した声を立ち上げる。弁明しようと語るほど、愛情や独占欲、見栄も言葉の隙間から表れる。妻の美知子が口述を筆記した作品と伝えられ、声に即した文体を考えるうえでも興味深い。告発の内容を事実として受け取るだけでなく、語る行為そのものが一人の人間をどのように浮かび上がらせるかを味わう作品である。
あらすじ
「申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い」。男は役人のもとへ駆け込み、師である「あの人」への訴えを息もつかせず並べ立てる。自分はあの人と同い年で、これまでどれほど陰で尽くしてきたか。それなのにあの人は自分を軽蔑し、ほかの弟子ばかりを可愛がる。マリヤが高価な香油をあの人の足に注いだときの燃えるような嫉妬、明日をも知れぬ逃避行への苛立ち——憎しみを語るそばから、あの人の美しさへの陶酔があふれ出し、殺してください、いや私だけは愛されたかった、と告白は激しく揺れ動く。ついに男はあの人の居所を教え、報酬の銀三十を受け取る。「私は嘘ばかり申し上げました」。愛していたのか、金が欲しかっただけなのか——自分でも分からぬまま、男は最後に名乗るのだった。「私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ」。
登場人物
- 私(ユダ) 師への愛憎に引き裂かれ、駆け込み訴えをするイスカリオテのユダ
- あの人(イエス) ユダの師。美しく、ユダの心を捉えて離さない
- 旦那さま ユダの訴えを聞く役人
冒頭部(原文より)
申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。 はい、はい。落ちついて申し上げます。あの人を、生かして置いてはなりません。世の中の仇です。はい、何もかも、すっかり、全部、申し上げます。私は、あの人の居所を知っています。すぐに御案内申します。ずたずたに切りさいなんで、殺して下さい。
「駈込み訴え」太宰治(青空文庫)
末尾部(原文より)
はい、旦那さま。私は嘘ばかり申し上げました。私は、金が欲しさにあの人について歩いていたのです。おお、それにちがい無い。あの人が、ちっとも私に儲けさせてくれないと今夜見極めがついたから、そこは商人、素速く寝返りを打ったのだ。金。世の中は金だけだ。銀三十、なんと素晴らしい。いただきましょう。私は、けちな商人です。欲しくてならぬ。はい、有難う存じます。はい、はい。申しおくれました。私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。
「駈込み訴え」太宰治(青空文庫)
名文
申し上げます。申し上げます。旦那さま。あの人は、酷い。酷い。はい。厭な奴です。悪い人です。ああ。我慢ならない。生かして置けねえ。
ユダの告発を一人称の独白だけで押し切る冒頭。息せき切った短文の連打が、愛と憎しみの裏返しをそのまま音にしている。
私の名は、商人のユダ。へっへ。イスカリオテのユダ。
独白の最後で語り手が自らの名を明かす結び。誰の告白だったのかが、ここで初めて読者に突きつけられる。
原文を読む
原文は青空文庫で公開されています(アプリからも同じ本文をダウンロードして縦書きで読めます)。